バートランド・ラッセルポータルサイト
- 電子掲示板の過去ログ(~2001年)
過去ログ索引 (2001年以前の過去ログ: 「新→古」の順) =================================== (2001年1月~12月) =================================== 映画「ヴィトゲンシュタイン」 投稿者:トマス 投稿日:12月28日(金)00時03分07秒 映画の話が出たついでに言いますと、デレク・ジャーマン監督の映画「ヴィトゲン シュタイン」に当然のことながらラッセルが登場します。他に経済学者のケインズな ども登場します。私がとくに覚えているのは、ラッセルとヴィトゲンシュタインが大 学の講義室でカバの存在をめぐって議論するところでしょうか。ちなみに、個人的に はラッセルの描かれ方はあまり良いものではありませんでした。まあ、ヴィトゲンシ ュタインが主役の映画ですから無理もないことでしょう。以上ご参考までに。 ----------------------------------------------------------------- はじめまして 投稿者:いわこ 投稿日:12月26日(水)21時57分27秒 ここで、出す話題ではないかも知れませんし、またはもう終わった話題になって いるかも知れませんが、来年クランク・インするイギリス映画でドーラ・ブラック が主人公の映画が作られるかも知れません。 ドーラ・ブラックの若き日をナターシャ・リチャードソン、後日の彼女をナター シャの母で、イギリスの大女優・ヴァネッサ・レッドグレイヴが演じます。 ドーラの若き日のシーンで夫のラッセルも登場します。今のところキャストはコ リン・ファースです。どんな映画になるのか楽しみですね。ただし、まだ確かな情 報ではないのですが、実現するといいなーと思います。 -------------------------------------------------------------------------- 書き込み御礼 投稿者:松下彰良 投稿日:12月19日(水)21時55分40秒 トマスさん、感想ありがとうございます。 重要なのは、気にそまないことはできるだけやらないようにしよう、ということ だと思います。良いとおもったら見習えばいいですし、少しでも気がそまらなけれ ばやめておいた方がよいと思います。 --------------------------------------------------------------------------- 佐伯彰一氏によるラッセル批評ー訂正 投稿者:トマス 投稿日:12月18日(火)23時22分43秒 私はラッセルのすべての活動を否定的にとらえてる訳ではないので、最後の文を 次のように訂正します。「生き方においてはいろんな意味で、ラッセルは偉大な教 師であると同時に反面教師なのかもしれません」 ------------------------------------------------------------------------- 佐伯彰一氏によるラッセル批評 投稿者:トマス 投稿日:12月18日(火)23時01分04秒 ラッセルの一ファンとして佐伯氏の評論を面白く読ませていただきました。おそ らくラッセルのような傑出した個性的な人物は、好悪がはっきりわかれるのでしょ う。好き嫌いの感情は生理的なものも含め理屈以前の問題でしょうから、松下さんの 最後の注に私も同感です。とはいえ、ラッセルはやはり複雑な人物であることは間違 いなく、倣うのは控えたほうがよい部分もあるような気もします。生き方においては いろんな意味でラッセルは偉大な反面教師なのかもしれません。 --------------------------------------------------------------------------- ↓それって普通じゃん?要は方法論ないのね 投稿者:猫ジャーキー 投稿日:10月19日(金)23時11分09秒 それにしても、ラッセルの哲学が言語論的な哲学と発想を異にしておりなじまな いって話とラッセルの哲学を言語論的な方法で整理できるかって話は議論のレベル が違うんじゃないの? ------------------------------------------------------------------------ 荘田さんへ 投稿者:高村 投稿日:10月18日(木)01時21分12秒 松下さんがそうおっしゃってくださるのであれば、荘田さんに対するご返事も、 この掲示板で済ませておきたいと思います。 言語論的でない方法論としては、具体的な名称があるのかどうかはわかりません が、ラッセルやポパーのような立場があると思います。つまり、同時代の科学的世界 観に対し信頼をもち、あるいは科学的世界観を実在論的に解釈した上で、それと日 常的な経験や哲学的直観とをすり合わせ、整合的な図柄を描こう、哲学的問題に対す る解決を見出していこう、という方法論が挙げられるでしょう。無論、ここで方法論 といっているのは、大まかな方針といった程度のことを念頭に置いており、「こうい う問題が生じたときには、こう取り組め」みたいなマニュアル的なものではありませ ん。そんなものは哲学(おそらくは、どんな学問でもそうだと思いますが)にはないと 思います。 現象学なんかも、言語論的ではない方法論を持つ立場だと思います。もちろん、言 語を重要視する現象学者はたくさんいますが。 私自身は、いまだ修行中のため、これといった方法論を決めるにいたっていません。 ただ、言語論的哲学よりは、ラッセルのやり方に好感と興味を持って勉強しています。 このやり方でおもしろい問題の立て方、解決の仕方ができれば、自覚的に方法論とす ることがあるかもしれません。 他にも、レスをつけたくなる話が色々なされているのですが、やはりインターネット でのやり取りは、少なくとも私にとっては非常に議論のしにくい媒体ですので、自粛し たいと思います。 -------------------------------------------------------------------- というわけで 投稿者:犬嫌い 投稿日:10月12日(金)22時56分56秒 こちらもレス不要。HAYASHIさん同様、私も失礼させていただきます。さようなら。 ------------------------------------------------------------------ 掲示板はおのれの信念を語るに値しない媒体だと? 投稿者:犬嫌い 投稿日:10月12日(金)22時54分01秒 そういう逃げ口上で常に安全地帯を確保しようとする姿勢が問われてるんじゃ ないの? で、その安全地帯すら砂上の楼閣なんじゃないの?ってのがここでの問 題でしょう。HAYASHIさんが言ってるのは、あなたの言う「厳密さ」なんて絵に描い た餅なんじゃないの?ってことでしょう。 管理人さんに迷惑だなんてどう考えても苦しい言い訳カマしてるけど、要は学会 とか自分とこの「一流大学」の仲間とかなら自分の考え言えるけど、ネットとか掲 示板とかそんなサブカルっぽい場では言えないっていう階級意識でしょう?もうわ かったよ、あなたの信念は。 -------------------------------------------------------------------- 掲示板への書込 投稿者:松下彰良 投稿日:10月12日(金)10時32分12秒 高村さん,HAYASHIさん この掲示板に,他人を中傷することや,ラッセルにまったく関係ないことを書かれ るのはこまりますが,そういうことがなければどのような意見や感想を書かれてもか まいません。(ただしいつも私が「反応する」のもよくないので,ながめているだけ にしていることもあります。「反応しない」からと言って「無視をしている」わけで はありません。あしからず。) なにごとも,自分が大切だと思っていることを大事にして,自分なりのやり方でや る以外ないですが,ただそれだけでなく,アインシュタインが書いたラッセルの『西 洋哲学史』の推賞文にありますように,「いろいろな人間や時代や各時代の思想に対 する感情移入能力」(←正確な引用ではありません)を養うことは非常に重要だと思 われます。 学問の専門化についていくためには,人間の能力の問題がありますので,余り拡散 しないように(一時的にでも)「切り捨て」をせざるえないですが,へたな切り捨て 方をして,「感情移入能力」が貧弱になると,専門化の弊害が大きくなると思われま す。 なお,つけたしですが,三浦さんは学術的なものとそうでないものとでは随分表現 の仕方・態度が異なっていますので,誤解している人も多いのではないかと思われま す。 ある雑誌で千葉大の土屋俊氏が(三浦氏に対し)「文学者に出番はない」といった 発言していますが,(信州大学から千葉大に移られた永井均氏も最初は「土屋氏のま じめさ」に同感していましたが,)『虚構世界の存在論』(勁草書房刊)を読み,こ の本の書評のなかで「哲学者にこそ出番がなかったのだ」とある雑誌に書かれていま す。 ご一読をおすすめします。 いずれにせよ,思いこみはできるだけさけ,余り自己限定はさけた方がよいと思わ れます。 レスは書かれても,書かれなくてもけっこうです。 -------------------------------------------------------------------------------- 迷惑だったんですか… 投稿者:HAYASHI 投稿日:10月12日(金)07時46分16秒 まったく気がつきませんでした。すいませんでした。レスはやめます。それでは失 礼します。 -------------------------------------------------------------------------------- 間違い 投稿者:高村 投稿日:10月12日(金)03時00分54秒 したのレスで、「重要な哲学的だと」とあるのは、 「重要だが、哲学的ではない」と書こうとしたものです。 あと、松下さんにご迷惑なので、この掲示板で、これ以降、私にレスをつけるのは やめてください。もし付けてくださったとしても、私がこの掲示板で返答をすること はありません。 それでは失礼します。 ------------------------------------------------------------------------------ 続き 投稿者:高村 投稿日:10月12日(金)01時19分54秒 松下さん>ご迷惑をおかけしました。私に対する松下さんのご返事にレスをしなかっ たのは、松下さんのご返事の内容や、読書会で取り上げられている本などから、「松 下さんと自分とでは、哲学やラッセルの魅力についての考え方が、根本的に違ってい るのだ」と痛感してしまったからです。私は市井三郎氏や三浦俊彦氏の著作には全く 魅力を感じませんし、ラッセルの社会問題についての発言は、重要な哲学的だとは思 いません。 そして、今のところ私は、自分にとって哲学とは何か、哲学の魅力とは何かを、他 人に説明する能力を持ちません。 あなたの感受性よりも、私の感受性のほうがすぐれている、とは申しません。それ すら、私にはわかりません。ただ、現在の私には、自分の感受性を信じて仕事をして ゆくことしかできません。それなりにまともであれば、自分の仕事はそれなりに理解 者を得るだろう、と信じることしかできません。 結局、失礼なことしかかけなかった気がしてしまいました。長文のレス、申し訳あ りませんでした。 ---------------------------------------------------------------------- もろもろ 投稿者:高村 投稿日:10月12日(金)01時18分12秒 久しぶりにのぞいてみたのですけれど、私に対する意見が寄せられているようです ので、少し、ご返答を。 荘田さん>あなたへのご返事は長くなりそうなので、今すぐに行うことはできません し、松下さんにご迷惑をかけたくありませんので、あなたが運用しておられる掲示板 の方に書かせていただきたいと思います。その際、あなたにはどういう名前で呼びか けたらよいのでしょうか。 犬嫌いさん>インターネットという場で自分の信念を公表することは、極力避けよう と今は思っているので、遠慮させていただきます。 HAYASHIさん>私に宛ててかかれた物だという確信はないのですが、おそらくそうだと 思いますので、ご返事を。 「確かに」でかかれている内容に関しては、同感です。そして、今現在私がしているこ とは、事実、あなたが書かれているような事です。毎日、こんなんでいいのか、そう思 って生活しております。 しかし、「より上の院」に行くことは、単に今後の生活を有利にするというだけでな く、哲学的対話をする環境を得る手段としても有効だと思います。「鋭いことを言う なあ」と感心させられるような人は、私の出身校である3流私立大学よりも、東大や 京大のほうが多いと感じています。 もちろん、東大や京大にも、しょうもない奴(学生だけでなく、教授も)たくさんい ますが。 「厳密さ」とは何かに付いてかかれていることは、よくわかりませんので、応答で きません。また、今後もこの場で議論をする気はないので、すくなくとも私宛のレス はご無用です。 ------------------------------------------------------------------------ (追伸)こんなサイトもありますが,・・・ 投稿者:松下彰良 投稿日:10月 4日(木)18時16分00秒 Kakoさま 以下のようなサイトもありますが,反則ですね。 REALPAPERS.COM - 25,000+ examples of term papers - ALL TOPICS! www.realpapers.com Writing a term paper? Click here for 1000s of examples on all subjects! https://www.realpapers.com ------------------------------------------------------------------------- googleで検索してみたら? 投稿者:松下彰良 投稿日:10月 4日(木)13時10分07秒 kakoさま ラッセルの The Problems of Philosophy, 1912 は非常にわかりやすく書かれて います。ですから哲学の初学者でも3回くらい「精読」すれば大体理解できるので はないでしょうか? 情報がほしいというのであれば,米国の google の検索エンジンを使って (Bertrand Russell problems philosophyで)検索すれば,多分,この本の要旨 がまとめられているページを見つけられる可能性もけっこうあると予想されます のでためしてみてください。 しかしそのようなページを見つけられたとしても、あくまでも参考にして,自分 なりに頭を使ってまとめられた方がよいですね。他人から回答例を教えてもらって 及第しても,勉強したことになりませんから。 検討を祈ります。 https://www.google.com/ -------------------------------------------------------------------------- 助けてくださあい!!! 投稿者:Kako 投稿日:10月 3日(水)12時33分58秒 私は今アメリカの大学で形而上学のクラスを取っています(専攻ではありません)。 今回のレポートの課題がラッセルの哲学入門で、実在の存在否定の理由についてラ ッセルの思想を使って書けとのことでした。ところが、私は哲学のクラスをとるの はまったく初めてで、講義を聞いててもチンプンカンプンだし、ラッセルといえば 結婚論と幸福論を読んだ事があるくらいなのです。レポートのために読むべきところ は最初から”理想主義”のところまでなのですが、慣れない哲学を英語で読んでもち っとも頭に入って来ないし、日本の本はてに入らないし、ゆっくりやってる時間もな いんです。何が一体かいてあるんですか?それからどんなことを書けばいいんでしょ う? 誰か助けてください! --------------------------------------------------------------------------- 「厳密さ」とは何か 投稿者:HAYASHI 投稿日: 9月30日(日)13時48分25秒 仮に本性上厳密さを受付ない対象に厳密な方法を適用したとして、果たしてその 方法は真に「厳密」だといえるか? 厳密さがあたかもいついかなる場合にも通用 するかのような仮定はある人工的な思考の空間でしか成り立たないモデルにすぎな いのではないか? ---------------------------------------------------------------------------- サイコキラーは何を言ってるのかわからないです 投稿者:犬嫌い 投稿日: 9月25日(火)15時08分37秒 あなたの「信念」を語って下さい。 https://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=d996029 -------------------------------------------------------------------------------- 書き込みありがとうございます。 投稿者:松下彰良 投稿日: 9月23日(日)14時29分07秒 荘田さま 書き込みありがとうございます。(出張していたため反応が遅れました。) 早速、貴殿が運営されている掲示板「ラッセル・ファン・クラブ」をラッセルの ホームページの「関係Webサイト」に追加させていただきました。 https://www.idsmall.com/cgi/MKRES/mkres2.cgi?russel ------------------------------------------------------------------------- 確かに 投稿者:HAYASHI 投稿日: 9月21日(金)10時23分12秒 受験戦争の延長みたいに「より上の院」「より上の学会」「より上の業績」 「より上の就職」を目指して『セッサタクマ』してる姿を見ると、これが哲学 するってことなのか?っていう疑問はもつよな。 -------------------------------------------------------------------------- ラッセル研究について 投稿者:荘田 健 投稿日: 9月20日(木)15時17分20秒 > 大学における哲学研究は専門分化がすすみ,それぞれの分野においては,"専門 >性" "厳密性"という点ではレベルが非常に高くなっていると思われますが,やは >り,ラッセルのように(それぞれの時代における)専門的な研究(最先端)を行う >とともに,一般の人に対して,それらの問題を,哲学の問題・課題の全体のなかで >位置付けたうえで,わかりやすく説明してくれる哲学者・思想家が次第に少なくな >っていることに欲求不満をもっています。 > > 確かにラッセル自身,自分の理論哲学と社会哲学(社会思想の基本的な考え方) >の間に,論理的なつながりはないと,いろいろなところで明言していますが,それ >は厳密にはそうであったとしても,故・市井三郎先生のように,自然科学と社会科 >学の両方に造詣が深く,象牙の塔にこもらない研究者がもっと増えてほしいと期待 >しています。 激しく同意。市井三郎が『哲学的分析』で乗り越えようとしていたのは、まさにそ うした偏狭さだったわけです。現在は市井の頃よりもそれこそ「海外の研究に比べて 決して低くない水準」をもっているとは思いますが、それはあくまでタコツボの中で のみ有効性をもつ「研究」の「水準」であって、ラッセル自身の「哲学」が全体とし てもっていたような機能をもちえていないわけです(というか、部外者にはもとうと さえしていないように見える)。 こうした「哲学」と「研究」の差異に気付きもしないというところが、日本の哲学 研究者の致命的な欠点であって、これは能力や研究の「水準」の問題ではありません。 強いて言えば「態度」の問題でしょう。日本の「思想」が主に文芸批評によって担わ れてきた、という特殊な経緯の一端には、「研究」から一歩も出ようとしない日本の 哲学研究者の誠実な無責任さ(奇妙な言い回しだが、このように言うしかない)があ ると思います。 私は哲学に関してはまったくの門外漢ですが、今までに「なぜ日本人が西洋哲学を 学ぶ必要があるのか?」を説得力をもって説明してくれた哲学者を見たことがありま せん。哲学史や哲学概論の序文に書いてあるようなとってつけたような説明は、「議 論の厳密さの確保」や「先人の考えをふまえる」などのそれ自体としては正しい手続 き論を自分の頭で考えることを先延ばしにするための言い訳にすり替えているように しか見えません。 「なぜ、ラッセルを学ぶ必要があるのか?」、これを「研究」の問題にすり替えずに 語ってれる哲学者は日本にはいないのでしょうか? あと、これは高村氏に質問ですが、「今ラッセル研究が下火である理由は、方法論 上のものである」という認識の後、「言語論的な問題提起を通じて論を立ててゆくの が、現代の分析哲学で一般的な手法なのですが、それがラッセルとは相性が悪い」と 述べられていますが、それでは、「言語論的な問題提起」でない「方法論」とは何な のでしょうか?つまり、高村氏自身はどのような「方法論」をとっておられるのか。 それとも、もはや「方法論」という考え方そのものが有効性を失っており、直にラッ セル解釈を語り出すしかない、というのが真相なのか? 最後にこれは感想ですが、「厳密には」ラッセルと分析哲学(そもそもラッセルを ここから区別するなら、このような一般的呼称の使用自体の有効性をまず問わねばな りませんが)の間に「差異」があるとしても、それが大きな視点からみれば些細なも のにすぎないという認識をどこかでもっておかないと、「世界」に通じるような(こ ういうコンプレックスまるだしの権威主義的発想自体が日本のタコツボ的な「哲学研 究」を象徴しておりますが)大きな仕事をすることなどできないと思います。 https://www.idsmall.com/cgi/MKRES/mkres2.cgi?russel -------------------------------------------------------------------- 投稿者:http//www.geocities.co. 投稿日: 9月19日(水)07時23分20秒 https://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/9439/444/1.html これまでの苦悩を綴ったホームページです。 もしよかったらいらして下さい。 よろしく。 追伸 只今、「幸福論」を読んでいます。 https://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/9439/444/1.html --------------------------------------------------------------------------- ラッセルの本は面白い 投稿者:vase 投稿日: 7月15日(日)00時11分18秒 私も「怠惰への讃歌」を読みました。ずいぶん前に古書店で購入したものの、本棚 に眠っていました。花さんの読まれたものは角川書店から出版されたものでしょうか? 仮にそうであれば、これはおそらく絶版になっていると思われるので、やはり古書店 で手に入れたのでしょうか(花さんが年輩の方かその他の理由があれば別ですが)? それとも他の出版社から刊行されたものがあって、それでしょうか? ラッセルの著書には至るところに機知やユーモアがちりばめられていて(これは彼 の哲学書にもみられます)、読み物としても楽しめます。ただ彼は論理学者でもある ので、きわめて論理的な文体です。そのため、彼の論理がわからない人にとっては晦 渋あるいは奇妙に思われる個所があるかも知れません。 休日の成り立ちはおそらくキリスト教の安息日に端を発していると思われますが、 日本ではほとんどすべての会社が週休2日制になって久しくなってきました。労働時間 を減らす方向へ向いていることは確かなように思えます。古代ギリシアの知的遺産は 暇がもたらしたものです。日々の生活を意識しないでいられるところから真に偉大な ものが生まれるような気もします。 -------------------------------------------------------------------------- ラッセルは、ただしい 投稿者:花 投稿日: 6月27日(水)22時53分34秒 労働時間の短縮が人間を幸福にする。怠惰えの賛歌 5時間労働のしごとを みつけてがんばっています。ラッセル革命進行中 みなさんおおえんしてね。 ---------------------------------------------------------------------------- 思索と実践(理論と実践) 投稿者:松下彰良 投稿日: 6月26日(火)22時59分56秒 大伏さま 書き込みありがとうございます。 「"~主義"には絶対にならない」というのも「"~主義にならない"主義(者)」 であるとも言えますので、余り言葉にこだわらない方がいいだろうと思います。 ラッセルは理論哲学や論理学においては結局、疑う余地のない確実な知識・真理 というものには到達しませんでした(そのようなものはないという結論に達しまし た)が、社会思想・倫理思想・実践の分野では、こうであろうとか、このようであ ってほしいと多くのことを主張しました。 それらの主張全てに「~主義」という言葉を当てはまれば、ラッセルは「自由主 義者」「個人主義者」「相対主義者」「世界連邦主義者」「合理主義者」「ギルド 社会主義者」「平和主義者」・・・、というように「主義」の塊になってしまいま す。 ラッセルは理論的には誰もが疑えないような客観的な・確実な知識はないと主張 しつつも、人間は、日々刻々、判断をせまられますので、逃げることはしない(判 断停止をしない)で、多くの判断をくだして発言・行動をしました。たとえば、ラ ッセルは核兵器に覆われた現代において、平和な世界をつくるためには、戦争が 「できないい」ような仕組みをこの世の中をつくる(=「世界(連邦)政府」をつ くる)しかないだろうと考えたわけであり、その意味では「世界(連邦)政府主義 者」と言ってもいいわけですが、ラッセルは純理論的に絶対的な主張をしているわ けではないということを了解した上でその言葉を使った方がよいだろうと思います。 私も大伏さんと同じく、「自由な思索」を重んじますが、毎日毎日非常に多くの判 断を下していかなければいけないわけですから、まちがった判断を下すことをおそれ るあまり、傍観者にばかりなる(=なかば責任回避する)ことのないようにしよう、 と自分に言い聞かせています。 ラッセルは、自分が「正しい」(もちろん純理論的ではなく)と思ったことは、誰 がなんと言おうと実行しましたが、(自分も含め)多くの人は他人の目を気にして、 ついつい傍観者になってしまいます。それは弱さでもありますので、自由な思索を大 事にするとともに、行動すべきときは行動する、実践的な判断を下すべきときは下す、 ということでありたいと思うこの頃です。(もっと若い時から実施すべきでしたが。) --------------------------------------------------------------------------- ラッセル読んでます 投稿者:大伏鬼兵衛 投稿日: 6月26日(火)02時07分19秒 以前、ゲストブックに書きこんでから久々に来てみました。私はラッセルや マルクスの言語的、文章的センスが好きであるとともに(ラッセルの怖いくらい の理性的な思考やマルクスの共産主義宣言前文の「ヨーロッパに幽霊が出る~」 など)結果としては資本主義並びにこの世界を変えるには至らなかった、いわば 世界変革の可能性の陰の部分として認識し、その上で他の人がやっているような 残された可能性を探るというのとは別の「あえてラッセルやマルクスの思想を陰 と認識した上で光の部分を探り当てていく」というのをテーマに読んでいるので すが、最近ある集まりでついうっかり「マルクスなどが好き」と言ったら、「お 前はサヨクか?」などと言われあげくは変な議論をふっかけられました。私は別 に共産主義者でもないし、ラッセルの言う世界政府主義者でもないのに・・むし ろそれらの事実を踏まえた上で研究対象として読んでいます。ある主義を持った 作家や思想家が好き=その人の主義を支持、と短絡的にとらえられるのはたまり ませんね。私は~主義者なんかになったらおしまいだと考えているくらいなのです。 まあもっとも私もラッセルの世界政府主義なるものに洗脳されて、ごく短い期 間(1週間ほど(笑))真剣に世界政府を実現するにはと考えたことがありますが すぐに馬鹿らしくなってやめてしまいました。何々主義者になるのにはやはり自分 の中で抵抗があるし、何々主義の御旗をふりかざすのはある時は自分自身からの逃 避でもあると思います。私は自由な思索者でありたいと思います。またそういった 柔軟なスタンスからしか現代のこの閉塞状況を打破する思想は生まれないのではな いかという気もするのです。たとえば右翼と呼ばれる方の中にも優れた言論家がお られますが、リベラルさを兼ね備えた人です。今の日本は、新しい教科書を作る会 などの現象に見られるように変に右傾化してきていると言われますが、何か世間の 空気が毛色の変わった思考を持つ人間や容易にカテゴライズできない人間の存在を 許さないといった感じになってきているようで、変な世の中になってきたなあと感 じる今日この頃です。なんだか愚痴みたいになってしまいました。ラッセル研究HP がんばってください。 ----------------------------------------------------------------------------- わーい♪ 投稿者:しがない学生 投稿日: 4月19日(木)17時55分20秒 とても丁寧な解答ありがとうございました!! あんなに適当な質問に 親切に、かつスピーディーに教えて下さって、 本当に感謝しています とても嬉しかったです(*^^*) ----------------------------------------------------------------------------- On culture and politics 追記 投稿者:松下彰良 投稿日:4月18日(水)22時02分01秒 学生さんへ On culture and politics は手元にも1冊ありました。ただし、手元にあるものは、 カバーは Russell on education のものがつけてあり、しかもカバーをとった本体の 背表紙も Russell on education になっています。 タイトルページは、Bertrand Russell on culture and politics となっており、次 の4篇が収録されています。 1)Politically important desires ← ノーベル文学賞受賞記念講演 ★邦訳あり 2)The reconciliation of individuality and citizenship ← Education and the Social Order,1934 『教育と社会体制』の中の1章 ★邦訳あり 3)Eastern and Western ideals of happiness ← Sceptical Essaysl, 1928 『懐疑論』の中の1章 ★邦訳あり 4)A freeman's worship ← 「自由人の信仰」 ★邦訳あり すべて邦訳があり、私のホームページをごらんになればわかりますので、省略します。 --------------------------------------------------------------------------- On culture and politics 投稿者:松下彰良 投稿日: 4月17日(火)18時19分00秒 学生さんへ 私のラッセルのホームページの 「英語学習用テキスト」のところに掲載してあるもののことだと思われます。 ●即ち、(57-4)B. Russell on Culture and Politics. 柴崎武夫・注 英潮社 @RC(7刷,1980年刊のもの) (57)は、The Basic Writings of B. Russell ですが,その中には, The philosopher of culture: east and west(2篇のエッセイ)と The philosopher of politics(4篇 のエッセイ)が収録されています。 この英語学習用テキスト(Russell on culture and politics)は、早稲田のラッセル 関係資料コーナーに寄贈してありますが、この6篇をすべて収録したものか、いくつか を選んだものだったか、記憶がありません。 なお、「検索エンジン」をうまく使えば、上記のことはわかりますのでやってみて ください。たとえば、ラッセルのホームページのトップページの検索エンジンを使い、 「culture poitics」 の2つの検索語をいれて検索すると、下記の情報が得られます。 *注意! 検索語には,「Bertrand Russell」をいれないこと ...Russell-J Homepage, designed by Akiyoshi MATSUSHITA 目次へ Top 4.語学テキスト・視聴覚資料 4.1. 語学テキスト 4.2. 視聴覚資料 *クリックすると該当の項目にジャンプできます。 4.1.語学テキスト Topへ 4.1.1.対訳・訳 133% https://russell-j.com/RCAT-4.HTM Sun Sep 24 18:28:54 2000 (サイズ 7k) [このサイト内を検索] また、現在最もすぐれた検索エンジンであるgoogleを使い、「Bertrand Russell culture politics」の4つの検索語をいれて検索すると、下記の情報が得られます。 ...Russell-J Homepage, designed by Akiyoshi MATSUSHITA ... 4.B. Russell on Culture and Politics. 柴崎他注 7刷 英潮社 ... 1972. 64-1.Dear Bertrand Russell. 牧野他注 初刷 朝日出版社 ... https://russell-j.com/RCAT-4.HTM - 8k - キャッシュ - 関連ページ [他、www3.justnet.ne.jpからの検索結果ページ ] -------------------------------------------------------------------- 文献探し 投稿者:しがない学生 投稿日: 4月15日(日)16時46分29秒 Russell の "On Culture and Politics" というのを原書で探しているのです が、一体これが本の題名なのかも小エッセイの題名なのかも出版社でさえわか りません。 どなたかご存じの方、教えて下さい。 ------------------------------------------------------------------------ ありがとうございました 投稿者:所 投稿日: 3月19日(月)13時19分45秒 とても丁寧な回答、ありがとうございました。 また、質問の内容も曖昧な言い方で大変申し訳ございません。 いま、アメリカの大学で哲学を取っています。 最初は一般教養として仕方なく取ったんですけど、ラッセルについての講義を 受けて、少しづつラッセルに興味を抱くようになりました。 また、ちょくちょく覗かさせてもらいます。 ありがとうございました。 ------------------------------------------------------------------------- Re ラッセルについて 投稿者:松下彰良 投稿日: 3月17日(土)17時48分34秒 所さま 「何故、ラッセルはクリスチャンにならなかったのか」というご質問ですが、これ は、「欧米においては通常ほとんどの人がクリスチャンになるのに、ラッセルはど うして・・・」という意味でしょうか? ラッセルがキリスト教の手厳しい批判者であることは、ラッセルを少しかじった ひとであればご存じのことと思います。キリスト教だけでなく既成の宗教が信じら れない理由は、 Why I am not a Christian, 1929(邦訳書『なぜ私はキリスト教徒ではないか』)や Religion and Science, 1935(邦訳書:『宗教と科学』)、その他多くの著書のな かで繰り返しのべています。詳細はそちらを読んでください。 多分、所さんのご質問は、そういうことではなく、「欧米人は、家族や社会の影 響で多くの人がクリスチャンになるのに・・・」という疑問からではないかと想像 します。 そういうことでいいますと、次のような事情ではないでしょうか? 1.ラッセルが小さいときになくなった両親は、無神論者であり、自分の子供も そのようになるように生前望んでいた。 2.両親の死後、ラッセルを養育した祖母は長老教会派のクリツチャンではあっ たが、同時に自由主義者であり、合理的にものを考えるタイプであった。そ の祖母からもらった聖書には、「万人が反対しても自ら正しいと信じたら、 たとえ一人でも我が道を行け」と書かれており、ラッセルはそれを実行した。 すなわち、15,16歳のときに、キリスト教の教えの一つ一つ、神の存在証明の 一つ一つを吟味したが、どれも信ずるにたるものではなかった。 3.信仰とは理屈ではなく、信じるか信じないかの問題だという人がいるが、そ れならばどの宗教を信じてもよいことになってしまう。もしそうでないとし たら、「心のきれいな人は●×教を信じるが、心にくもりがある人は邪教を 信じる」ということになり、宗教自体が傲慢なものになってしまう。 以上のようなことで、亡くなった両親の影響、ラッセルの周辺にすぐれた科学者が いたこと、ラッセルが小さなときから大変知的であったことなど、宗教を信じるよう になる条件が少なかったからだと思われます。// =================================== ラッセルについて 投稿者:所 投稿日: 3月14日(水)19時26分02秒 今、ラッセルについて勉強してますが、何故、ラッセルはクリスチャンに ならなかったのでしょうか? ================================= Re: ラッセル研究について 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月15日(月)14時11分32秒 高村様 電子掲示板への書込ありがとうございます。 (確か,高村さんもrusl-mlに登録していただいていたと記憶しています が・・・?) 私は,論理学や理論哲学の専門家ではありませんので,あくまでも哲学 研究の素人としての発言です。 大学における哲学研究は専門分化がすすみ,それぞれの分野においては, "専門性" "厳密性"という点ではレベルが非常に高くなっていると思われ ますが,やはり,ラッセルのように(それぞれの時代における)専門的な 研究(最先端)を行うとともに,一般の人に対して,それらの問題を,哲 学の問題・課題の全体のなかで位置付けたうえで,わかりやすく説明して くれる哲学者・思想家が次第に少なくなっていることに欲求不満をもって います。 確かにラッセル自身,自分の理論哲学と社会哲学(社会思想の基本的な 考え方)の間に,論理的なつながりはないと,いろいろなところで明言し ていますが,それは厳密にはそうであったとしても,故・市井三郎先生の ように,自然科学と社会科学の両方に造詣が深く,象牙の塔にこもらない 研究者がもっと増えてほしいと期待しています。 19世紀と異なり,20世紀,ましてや21世紀においてはそのようなことは 不可能と言われるかもしれませんが,哲学の分野以外も含めて,それぞれ の分野の理論的なリーダーの方々には,すくなくともそのような努力をし ていただきたいと願っています。 欧米においては,論文レベルにおいては,数においてラッセル研究文献 は少なくないとも言えると思いますが,日本においては,単行本のラッセ ル研究書はずっと出されておらず,大変残念に思っています。 ラッセル批判でも何でもけっこうですから,(1)ラッセルの哲学・論理学 の全体像を扱った研究書,(2)ラッセルの社会思想の全体像を扱った研究書, それからそれら(3)ラッセル思想全体を,一人の人間の「思想」(知的いと なみ)として扱った,一般の人も理解できる研究書をまとまてくれる人はで てこないものかと,ずっと待ち望んでいるしだいです。 松下彰良 --------------------------------------------------------------------- ラッセル研究について 投稿者:高村 投稿日: 1月15日(月)01時57分31秒 久しぶりに書き込みをします。 ラッセル研究についてですが、哲学的議論としての精度と生産性を維持 しつつ、ラッセルの様々な発現をまとめあげ、全体像を描き出す、などとい う試みが、はたして可能なのかどうか、そもそも疑問に思います。ラッセル 自身の中でさえ、論理哲学や形而上学と、社会問題についての発言との間に つながりを見ていたかどうか、疑問です。 理論的な哲学に話題を絞るなら、今ラッセル研究が下火である理由は、方 法論上のものであると思います。認識論や形而上学についての議論をするとき、 言語論的な問題提起を通じて論を立ててゆくのが、現代の分析哲学で一般的な 手法なのですが、それがラッセルとは相性が悪い。 というわけで、記述理論や面識の原理ぐらいにしか、関心が集まっていない わけです。 無論、このような「第一哲学としての言語哲学」という発想自体も、様々な批 判を浴び、相対化されつつあります。ですが、そこから直ちにラッセルの見直 し、というわけにも行きますまい。 現代的な議論(例えば心の哲学とか)と、ラッセルの議論の双方に通じた上 で、両者をかみ合わせる芸当ができることが必要なわけで、これはやはり相当 にしんどいことなのです。 私は本当に少数ながら、ラッセルの研究者を知っていますが、彼らはこのよ うな努力を行っています。私も微力ながら、頑張ろうかと思います。 ちなみに私は、少なくとも理論的な哲学においては、日本は海外の猿真似だ とは思いませんし、海外の研究に比べ、水準が低いとも思いません。あるいは、 海外の研究者の水準がそれほど高いとは思いません。それでは。 --------------------------------------------------------------------- ミュンヘン大学でラッセルのパラドックスに関する会議 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月10日(水)11時06分20秒 Russell Conference(ミュンヘン大学でラッセルのパラドックスに関する 会議開催) 世界中から研究者がスピーカーとして参加しますが,現在のところ 日本からの参加はないようです。 松下 Years of Russell's Paradox International Conference in Logic and Philosophy University of Munich, June 2- 5, 2001 Call for Papers The Organizing Committee is calling for contributed papers for the section meetings of the Russell Centennial Conference in Munich, Germany, June 2 - 5, 2001. A description of the conference is given below. Submissions of extended abstracts of 8 - 10 pages or approximately 4000 to 5000 words should be sent in two copies to the adress below. The submissions will be strictly reviewed. Please indicate to which of the following sections you wish to contribute: a.. Russell Studies b.. Logic c.. Set Theory d.. Philosophy of Mathematics a.. Length of paper: 30 minutes plus 10 minutes discussion b.. Deadline: January 31, 2001 c.. Contributers will be notified by April 1, 2001 d.. Mailing adress: Russell Cenntennial Conference "Russell 2001" c/o Ulrich Albert Seminar for Philosophy, Logic und Philosophy of Science PLW University of Munich Ludwigstra゜e 31/I D-80539 Munich Germany e.. For further information see or contact: https://www.lrz-muenchen.de/~russell01 Email: russell01@lrz.uni-muenchen.de This centennial conference commemorates the discovery of Russell's paradox, which revolutionized philosophical inquiry and foundational thinking about mathematics, and led to the development of the new and thriving fields of mathematical logic and set theory.. The aim of the conference is to contribute to the understanding of Russell's discovery in its historical context, and to attempt an assessment of the meaning of set theory in the light of both current conceptions and recent technical findings in the above- mentioned fields. The conference will feature a.. plenary sessions with distinguished invited speakers b.. section meetings devoted to the above fields, with both invited and contributed papers The following persons have so far agreed to participate as invited speakers: Ulrich Blau (Munich), John Bell (Western Ontario), Wilfried Buchholz (Munich), Andrea Cantini (Florence), Charles Chihara (Berkeley), Hans-Peter Donder (Munich) Solomon Feferman (Stanford), Harvey Friedman (Ohio) Sy Friedman (Vienna), Nicholas Griffin (McMaster) Michael Hallett (McGill), Allen Hazen (Melbourne) Geoffrey Hellman (Minnesota), Peter Hylton (Chicago) Andrew Irvine (Vancouver), Gerhard Jaeger (Bern) Hans Kamp (Stuttgart), Gregory Landini (Iowa) Shaughan Lavine (Arizona), Bernard Linsky (Alberta) Per Martin-L (Stockholm), David McCarty (Indiana) Vann McGee (MIT), Ray Monk (Southampton) Gregory Moore (McMaster), Yiannis Moschovakis (UCLA) Jan Mycielski (Bolder), Charles Parsons (Harvard) Michael Rathjen (Leeds), Francisco Rodriguez-Consuegra (Valencia) Philippe de Rouilhan (Paris), Helmut Schwichtenberg (Munich) Robert Thomas (Manitoba), Alasdair Urquhart (Toronto) Albert Visser (Utrecht), Hugh Woodin (Berkeley) For the Organizing Committee: -------------- Prof. Godehard Link Seminar for Philosophy, Logic and Philosophy of Science (PLW) Philosophy Department University of Munich Ludwigstr. 31/I D-80539 Muenchen Germany phone: 49+89-2180-3470, x3469 (Secr.) fax: 49+89-2180-2902 email: glink@cis.uni-muenchen.de https://www.lrz-muenchen.de/~godehard.link/ --------------------------------------------------------- 専門家? 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月10日(水)08時58分21秒 佐藤さん 日本においては、ラッセルを研究している人は多くはないですが、 欧米においては結構いると思われます。これまで出版された著作を除 き、ラッセルの論文を集めた Collected Papers 全28巻が完結したこ ろには、ラッセル・ブームのようなものが欧米にまた起こるのではない かと予想しています。(日本はなんでもまねをしますので,その後日本 でもとりあげられるようになると思われます。) 論理学,理論哲学,教育学,その他の個々の専門分野では、多少ラッ セルを論ずる人が日本にもまだ少しいますが、ラッセル思想全体をまと もに扱える研究者は日本には非常に少ないだろう(小粒の研究者が多く なってきた)と思われます。専門分化が進めば当然といえば当然ですが。 (市井三郎氏は,論理学・哲学,自然科学,社会科学といった幅広い分 野の見識をもっていた哲学者でしたが,現在の日本ではそれぞれの分野 で優秀な研究者はたくさんいても,思想家と呼べるような人は少ないで すね。) -------------------------------------------------------- 新世紀を迎えて 投稿者:佐藤 投稿日: 1月 7日(日)06時23分13秒 明けましておめでとうございます。いよいよ新世紀に入りました。 このところ日本ではどういう訳か専門家の間でさえラッセルが顧みら れなくなっています(松下さんは何故だと思われますか?)。もちろ んラッセルの発言も時代の制約を免れないでしょうが、それでもなお 現代の私達に訴えかけてくるものがあります。そのラッセルの時空を 越えた叡知に招待する恰好の場を今後も見守っていきたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いします。 (↑2001年) --------------------------------------------------------------------- |