バートランド・ラッセルポータルサイト
- 電子掲示板の過去ログ(2006年)
過去ログ索引 --------------------------------------------------------------------------- ポチャ 投稿者:ars 投稿日: 1月30日(月)02時04分53秒 softbank219181130063.bbtec.net はい、ポチャx2しているとも言うのを聞いたことがあります。 肉がついているというか、太っているということですね。 ポチャというのはタジョのモデルの少年アジョに対して、 ジョン・ランチェスターが言ったものです。 小説は1911年、あの映画は1971年であり、美の規範が 異なるというのがアデアの主張です。 タジョのモデルになった少年は、『クオ・ヴァディス』を著した 作家シェンキェヴィチも眼を細めたそうです。 映画でタジョを演じたビョルン・アンドレセンは、 ご指摘のように、太ってはいません。 ここで、lump云々も問題になりそうですが、 モデルになったアジョの写真をジョン・ランチェスターと 比らべる必要があるでしょう。少年時代だけでなく、 青年時代、成年時代、晩年と。 生憎、ランチェスターの肝心の子供時代の写真はありませんでした。 本のカヴァーに載っているのは40代~50年代のものでした。 その写真のランチェスターとアジョを比較すると、 アジョのほうがずっとハンサムです。 美は主観的ですが、それにも拘わらず、時代により美的趣向が 一定にあり、小説が最初に出された時とヴィスコンティにより 映画化された時とでは、異なる規範としてあるということだと 思われます。 https://www.geocities.jp/sstst716/index.html ------------------------------------------------------------------------- RE ありがとうございます。 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月27日(金)21時25分25秒 p93f0ea.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp >なんとか、1990年の本を探したいと思います ことば足らずでしたが、岩波文庫版の『教育論』は、その後も何度も増刷されていますので、神田(お茶の水)の三省堂や、東京駅近くの八重洲ブックセンターなどには、まだ残っている可能性が大きいと思われます。 --------------------------------------------------------------------------- ありがとうございます。 投稿者:かずや 投稿日: 1月27日(金)21時21分18秒 FLH1Aak084.tks.mesh.ad.jp 早速返事を頂ありがとうございます。ラッセルの教育論に載っているのですか。色々とわたしも探してみました結果、教育論にたどり着きました。ありがとうございました。 しかし、本を探すのは至難の技ですね。最初の発行はかなり古いのですね。。困りました。 なんとか、1990年の本を探したいと思います。 --------------------------------------------------------------------------- RE 突然ですがお伺いしたい事があります 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月27日(金)20時36分56秒 p93f0ea.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp かずや様 お尋ねの文章は、ラッセルの教育論(On Education, 1926)の第2部「性格の教育」の第10章のなかの一節です。 ラッセルの教育論の邦訳は、以下にリストアップしてありますように多数あります。 https://russell-j.com/R3B2-P6.HTM 一番入手しやすいのは、安藤貞雄先生の(岩波文庫版:青649-2)の邦訳で、この文章は、p.194 にでてきます。即ち、 「自由な競争や対等な協力において、自発性を十分に発揮させられるのは、同年輩の仲間を おいてない。・・・」 他の2つの文章もこの『教育論』のなかにありますので、ごらんになってください。 (参考) https://russell-j.com/cool/23T-IDX.HTM -------------------------------------------------------------------------- 突然ですがお伺いしたい事があります 投稿者:かずや 投稿日: 1月27日(金)00時10分42秒 FLH1Aac028.tks.mesh.ad.jp こんばんわ。はじめまして、かずやといいます。今、卒論を書いているなかで初めてラッセルに出会いました。その中で、気になる文章が幾つかあり、それがどの本に載っているのかがしりたくてここにたどり着きました。書いている事にちょっと興味がわき、よんでみたいなと思いましたので、是非おしえてください。おねがいします。 「自由な競争において、また平等な協力において、自発性にそのはけ口をあたえることのできるのはただ同年齢のなかまだけである~最良の学習ができる」と、「ほんの少し年上の子どもは~野心を提供してくれる」と「どんな社会にでもいる弱いものに対して~遊び相手としての年下のこどもである」の3つです。日本で、どなたが翻訳されているなど詳しいことを教えていただけたらうれしいです。よろしくおねがいします。 ---------------------------------------------------------------------------- Re Scopes の違い 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月25日(水)21時07分28秒 p93f0ea.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp ars さん コメント、ありがとうございます。 ところで、「ヴェニスにて死す」は、ビデオで見ましたが、 >lumpはa lump of sugarのlumpで、辞書には「木偶(の棒)」とあります。でも、これは非常に拙いです。木偶の少年がトーマス・マンを虜にするでしょうか?! >ここでは、美の基準、審美性が問題になっているのです。 >そこで、木偶ではなく、「ポチャ」としました。 「ポチャ」というのはどういう意味かよくわからず、Googleでしらべてみました。 おおよそ意味はわかりましたが、ビデオのなかの美少年「タジョ」は、どちらかというと太ってはおらず、ほっそりしており、「ポチャ」とはほど遠いので、なぜ「そこで・・・「ポチャ」としました、なのか、よくわかりませんでした。 それから、「ポチャポチャしている」という言い方がありますが、ここに出てくる「ポチャ」と意味的につながりがあるのでしょうか? https://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM -------------------------------------------------------------------------- scpopesの違い 投稿者:ars 投稿日: 1月25日(水)13時07分32秒 softbank219181140027.bbtec.net 松下さまの読み、これに近いものを一読したときに出したのです。 オットーライン・モレルとバートランド・ラッセルの関係ですが、 彼女の夫のフィリップ・モレルが認める形であったように見うけられます。 これは、フィリップにも愛人がいて、一種のtradeだったように見うけられます。 これを可能にしていたのがヴィクトリア朝の上品な伝統的モラルないしは旧習を 廃する「進歩」という考え方でした。 しかしながら、このフィリップの進歩的な考え方において、離婚は想定外なことでした。 想定外なのは、離婚により現在の経済的安定性が大きく揺らぎ壊滅するかもしれない からではないかと推測されます。その一例として、ラッセルの兄の離婚が挙げられる でしょう。テレグラム・ハウスを手放すことになり、ラッセルが購入することになり ました。 最初に読んだとき、「人生は思惑の通りに行くかもしれないが、現実はといえば なかなかそううまくは行かないものだ」と読みました。つまり、 「オットーラインがフィリップと離婚して自分と結婚してくれることはありそうなのだが、 そうは問屋が卸さない、ままならないのが人生である。しかし、オットーラインと スタッドランドでオットーラインと過ごしたこの3日3晩は私の人生で稀有なものとして 記憶に残るものとなった。」 という肉付けです。 しかし、ラッセルの自伝は大昔に読んだので、前後関係が非常に怪しく、 思いきって上のように読むのは避けてしまいました。 そこで、サイトに載っているテキストから、itを癌を宣告された恐怖ないし不安な 状況として読みました。 これが、近視眼的で読みが浅いと責められても文句はありません。 ということで、背景の読み取りが異なるということ、スコープの採り方が違い過ぎると いうことになると思われます。 スコープの採り方が違うと出てくるものが全く異なります。 その例として、以下の文における"lump'で、Gilbert Adairがジョン・ランチェスターを 引用しているところにあります。 Beauty being, as we all know, in the eye of the beholder, . . . But let's consider the judgment of Tarquin Winot, the voluptuar protagonist of John Lanchester's bestselling novel The Debt to Pleasure(ita.), on seeing a few of these same photographs reproduced in a magazine article . . . that he has chanced upon. 'The child in question,' Winot bitches, 'could only honestly be described as a lump.' この本、『最後の晩餐』は翻訳されていたので、参考にすることにしました。 翻訳文では以下のようになっていました。 なにも知らぬ私は射すくめられるがままだったのですが、愉快だったのは後日雑誌を めくっていたらトーマス・マンを虜にした『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハ の夢の恋人のモデルとなった実在の少年というのが掲載されていて---------これが 木偶としか形容のしようがないのですね。 lumpはa lump of sugarのlumpで、辞書には「木偶(の棒)」とあります。でも、これは非常に拙いです。木偶の少年がトーマス・マンを虜にするでしょうか?! ここでは、美の基準、審美性が問題になっているのです。 そこで、木偶ではなく、「ポチャ」としました。 いずれにしても、ジョン・ランチェスターが実在のモデルの少年の履歴を知っていたら 'lump'という言葉を出していたか疑問です。 また、自らの愛らしさ、ないしは愛くるしい少年時代の写真を該当するタジョのモデル になった少年の写真と並べてもらわないと、読者としては困ってしまうのが現状です。 ラッセルの自伝の該当箇所に戻りましょう。 松下さまはずっと継続されて自伝を読まれておられます。 私は、実際のところ、問題の文をさっと(=perfunctorilyに)読んだだけです。 軍配は自ずと松下さまの方に上がるでしょう。 https://www.geocities.jp/sstst716/index.html ---------------------------------------------------------------------------- RE 試訳ですが・・・ 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月23日(月)23時35分3秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp arsさん、 >癌にかかっていつかもしれないというので本来なら憂鬱な気分で恋人や愛人と楽しい時間を過ごすことなどままならないのだろうが、スタッドランドでオットーラインと過ごしたこの3日3晩という時はそんな憂鬱が微塵も影を落とさない私の人生において本当に輝いていた稀有な>ものとして記憶に残るものとなった。 英文をみずに、日本語だけ読むと、自然な文章になっていて、意味が通じるので正しい訳のように見えてしまうかもしれないですが、★文法的にいって★、どうしてこのような訳せるにか、私にはどうもピンときません。 it might be が 関係代名詞の that を介して all を修飾していなければ、it は「状況のit」と解釈できるかもしれませんが、it は life をさしていると思われ、? のままです。 私にはまだ私の拙訳の方が、まだ自分には納得できます。即ち、 「私がスタッドランドで(オットリンとともに)過ごした3日3晩は、(この世に)ほとんど存在しない(貴重な)ひととき--(★そのような時には★)人生とは、人生において可能な全てであると思われる(可能性を信じて行動すればほとんどの道が開かれてくると思われる?) が、しかし現実はそのようなことはめったにない--のひとつとして、私の記億に残っている」 つまり、二人は熱愛しており、そのような時はお互いを信じて努力してことにあたれば、世の中のあらゆる障害を克服できると思ったりしがちであるが、実際はそのようなことはほとんどない(実際、ラッセルはオットリンと一夜たりとも一緒に過ごしてはならないという条件を課され、怒り狂うことになります。ラッセルと夫フィリップとの衝突により、夫をも心から愛しているオットリンにとって大変心を痛めることになり、最初の頃のエクスタシー=精神的高揚を感じることが難しくなっていきます。) つまり恋愛の渦中における錯覚であり、錯覚であるということは、恋がさめると(あるいはもっと冷静になると)わかるようになる。・・・// https://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM ---------------------------------------------------------------------------- 試訳ですが・・・ 投稿者:ars 投稿日: 1月23日(月)04時47分53秒 softbank219181130063.bbtec.net The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is. 状況ないし背景を考えると以下のようになるのではないかと思われます。 癌にかかっていつかもしれないというので本来なら憂鬱な気分で恋人や愛人と楽しい時間を過ごすことなどままならないのだろうが、スタッドランドでオットーラインと過ごしたこの3日3晩という時はそんな憂鬱が微塵も影を落とさない私の人生において本当に輝いていた稀有なものとして記憶に残るものとなった。 >しかし、いずれにしても all that it might be の意味をどうとらえるか と松下さまはご指摘されておられます。ここで、itは「状況のit」であり、 具体的には「ラッセルが癌に罹っていると宣告されたこと」、「癌と宣告されて これまでかと思い憂鬱かつ悲観的な気分になるというのが、all that it maight be 「絶対意気消沈するのが当たり前(なのに・・・)」ということではないでしょうか。 https://www.geocities.jp/sstst716/index.html -------------------------------------------------------------------------- Re:RE5:人生こそすべて? 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)12時54分33秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp たしかに松下さんの仰るとおり、ラッセルは明晰な文章を書くことに努めているように思われます(絵画でいえば、ラッセルは印象派の絵は好まなかったのではないでしょうか)。 それにしても、英語は難しいです。 --------------------------------------------------------------------------- RE5:人生こそすべて? 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月22日(日)12時42分35秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさん >>下記の訳は、but hardly ever isがallを修飾した場合についてです。 all but that it hardly ever is だとすると、 all があくまでも that it might be に修飾された上での all であるというのが意味がなくなってしまいます。(後半の文も all にかけるのであれば、ラッセルであれば、誤解のないように、別の表現にするだろうと思われます。) それから、サトウさんは、 「そうであるかもしれないが、めったにそのようなことはない、人生こそすべてであるように 思われたつかの間のひととき・・・」と訳されていますが、 人生★こそ★すべて・・・のなかの、★こそ★は、この文脈のどこからもでてこないと思われます。 >>でもよくわかりません。文芸翻訳家の方ならどう訳すのでしょうか 文芸翻訳家はあまり役にたたないだろうと思います。ここの場合は、(一般教養のある)英語学の専門家に聞いた方がよいだろうと思われます。ラッセルは「正確に」表現することに人一倍エネルギーを使っており、あいまいな言い方は嫌います。ここはあくまでも、文法的にせめていった方が良いと思われます。 しかし、いずれにしても all that it might be の意味をどうとらえるかが重要です。// https://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM --------------------------------------------------------------------------- 無題 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)12時29分25秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp ちなみに、下記の私の直訳をもっとわかり易い(allへの修飾を際立たせた)表現に直しますと次のようになります。 人生とは、そうであるかもしれないが、めったにそのようなことはないすべてであるように思われたつかの間のひととき --------------------------------------------------------------------------- Re:RE Re:RE 人生こそすべて? 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)12時20分28秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp 下記の訳は、but hardly ever isがallを修飾した場合についてです。 でもよくわかりません。文芸翻訳家の方ならどう訳すのでしょうか。 --------------------------------------------------------------------------- RE Re:RE 人生こそすべて? 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月22日(日)12時04分55秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさん >>・・・。たとえば、「お金こそすべてであるように思われる」という場合、「ひょっとしたら >>そうかもしれないが、(実際には=めったに)そのようなことはない」と言えませんか?日々 >>の生活に汲々としている人にとっては、お金は生きていくためのすべてであるかもしれませ >>んが、普通はそのように考えない人が多いのでは? その考え方を自叙伝のこの文脈に適用すると、 (★そのようなひと時には★)「人生とは、人生において可能な全てであると思われる(可能性を信じて行動すればほとんどの道が開かれてくると思われる?)が、しかし現実はそのようなことはめったにないと思われる★ひととき★・・・」となり、後半に注目すると「そのようなことはめったにないと思われる★ひととき★」ということになり、かなりおかしい(苦しい)解釈になってしまいます。そのような★ひととき★に、「そのようなことはめったにないと思われる」ことはないはずです。そのようなひとときであるからこそ、前半部分のようなことが思われるというのが、素直な、文法的にいっても妥当な解釈だと思われます。// https://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM --------------------------------------------------------------------------- 追加 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)11時51分20秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp >スタッドランドでの3日3晩の出来事は、「人生にめったにないこと(出来事;ひととき)の1つであった」というのが、ニュアンスをしっかり掴んだ訳だと思います これは文脈からいってそのとおりだと思います。 ---------------------------------------------------------------------------- Re:RE 人生こそすべて? 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)11時46分44秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp 松下さん 別に逆の意味になってもおかしくないのではないでしょうか。たとえば、「お金こそすべてであるように思われる」という場合、「ひょっとしたらそうかもしれないが、(実際には=めったに)そのようなことはない」と言えませんか?日々の生活に汲々としている人にとっては、お金は生きていくためのすべてであるかもしれませんが、普通はそのように考えない人が多いのでは? 一応、one ofの意味を汲んで「つかの間のひととき」と訳したつもりです。 ---------------------------------------------------------------------------- RE 人生こそすべて? 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月22日(日)11時06分13秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさん、 >>私の訳は、but that it hardly ever is として訳しました。 それは違うのではないでしょうか? サトウさんの考えのように that を入れてしまう(thatが入っていれば理解できると解釈可能とする)と、 'that it hardly ever is' が it seemed ということになり、「めった・・・でない」ということも思われたことになってしまい、逆の意味になってしまいます。 life とはどういったものに思われる(seem)か、というのは、あくまでも all that it(=life) might be であり、'that it (=life) hardly ever is' ではありません。(Thatがあれば理解できる、ということではないはずです。つまり、素直に、'but life hardly ever is' → 人生は、all that it might be ではない、と解釈すれば良いと考えます。 それから、among は、one of ... を補って考えないと誤訳するおそれがあるのではないでしょうか。 たとえば、私の手持ちの「研究社大英和辞典」の意味2aには、次のような例があがっています。高校の受験英語でも出てきていると思いますが・・・。 *・・・の一つで (例1)She was among the prize winner. (彼女は受賞者の一人だった。) (例2)That was among the things they said to me. (それは彼が私に言ったことのひとつである。) つまり、スタッドランドでの3日3晩の出来事は、「人生にめったにないこと(出来事;ひととき)の1つであった」というのが、ニュアンスをしっかり掴んだ訳だと思います。// https://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM --------------------------------------------------------------------------- 人生こそすべて? 投稿者:サトウ 投稿日: 1月22日(日)10時25分2秒 i220-108-209-47.s02.a013.ap.plala.or.jp 松下さん、私が難しいなと思ったのは、life seemed all that it might be, but hardly ever is の部分です。it=lifeに間違いないでしょうが、but以下がどうつながるのかよくわかりません。私の訳は、but that it hardly ever is として訳しました。つまり先行詞allにつながる関係詞節としてです。でも、原文ではthatもないし、時制の一致もないので誤りかもしれません。「人生こそすべてであるように思える」というのは、わかるようでわかりません。among the few momentsについては、これで「つかの間のひととき」として訳せるのではないでしょうか。 投稿記事につきましては、どうしてもというわけではありませんが、やはりちょっと言い過ぎたかなと思いまして。削除については、松下さんのご判断におまかせします。 --------------------------------------------------------------------------- RE as among the few moments 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月20日(金)21時28分25秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさま 問題の箇所は、下記の一文のなかの、life seemed all that it might be のところです。 "The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly ever is" (when=the moments; momentの複数形→ひととき;it=life; hardly ever = めったにない; is = 現在形・・・; as among the few moments ・・ 「束の間のひとつとして」ではなく、「(束の間の)ひとときのひとつとして・・) と考えると、現在のところ、次のようにしか訳せません。 「私がスタッドランドで(オットリンとともに)過ごした3日3晩は、(この世に)ほとんど 存在しない(貴重な)ひととき--(★そのような時には★)人生とは、人生において可能な全てであると思われる(可能性を信じて行動すればほとんどの道が開かれてくると思われる?) が、しかし現実はそのようなことはめったにない--のひとつとして、、私の記億に残っている」 >>なお、17日付け投稿記事については、松下さんの仰る通りかもしれません。真意は測りかねますが、ラッセルに失礼なような気もします。投稿記事の削除願います。 削除するほどのこともないと思いますが、どうしても残しておきたくないということであれば削除しますが・・・? それから、ラッセルの「偽善」ということばは少し強いですが、本人が「偽善」だとは思っていない場合もありますので、「自己欺瞞」ということばを使った方がよいケースもあるだろうと思います。// --------------------------------------------------------------------------- 訂正 投稿者:サトウ 投稿日: 1月19日(木)22時34分56秒 i218-47-22-37.s02.a013.ap.plala.or.jp 「as」の「として」が抜けました。 ......つかの間のひとときとして --------------------------------------------------------------------------- as among the few moments when life seemed all that..... 投稿者:サトウ 投稿日: 1月19日(木)22時23分52秒 i218-47-22-37.s02.a013.ap.plala.or.jp 松下さま 私もよくわかりませんが、直訳すると以下のようになるのではないでしょうか。 そうであるかもしれないが、めったにそのようなことはない、人生こそすべてであるように思われたつかの間のひととき ちなみに日高訳では次のようになっています。 すべてそのような時はそうであるような、しかしつねにそうであるとはかぎらない なお、17日付け投稿記事については、松下さんの仰る通りかもしれません。真意は測りかねますが、ラッセルに失礼なような気もします。投稿記事の削除願います。 ---------------------------------------------------------------------------- 自殺、戦争、人命尊重 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月17日(火)22時24分44秒 pd31201.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさん、コメントありがとうございます。 >一方で人命を尊重しながら戦争を支持する愚かな人など死んでしまえと思ったからかも >しれません 「死んでしまえ」というのは言い過ぎで、ラッセルの言いたいのはこんな感じでしょうか。 「人命尊重、生命の尊厳を言い、自殺は卑怯だという欧米人が多い。しかし、そう考えているのであれば、戦争にも積極的に反対するはずであるが、実際はそうではない。第一次世界大戦も多くの人が反対しなかったために、おこってしまった。★これは偽善ではないか★」 つまり、人間の'偽善性'に焦点が当てられていると思われます。 日本人も、戦争はよくない、平和が一番と、人命尊重をいいながらも、イラクなどの、外国で行われている戦争に対しては、半分以上の国民が目をつむっています。もしそうでないとしたら、米国の行動(世界の自由を守るためではなく、米国の自由や石油の権益を守るため、米国型の民主主義を武力でもって普及させようとするやり方)に反対しないで追従している日本政府の立場を多くの国民が支持するはずがなく、いまごろは政権がかわっているはずです。 ラッセルが今生きているとしたら(ラッセルの心情・信条から言えば)、日本人もイラクでの戦争を消極的にであっても、「結果的に支持」していることになっており、その日本人が、人命尊重、生命の尊厳(どんなに苦しくても自殺するのは良くないなど)を言うのは、「偽善」である、とラッセルは言いたいのではないでしょうか。 -------------------------------------------------------------------------- 「ラッセルの言葉 0016」を読んで 投稿者:サトウ 投稿日: 1月17日(火)21時39分5秒 i218-47-22-37.s02.a013.ap.plala.or.jp ラッセル節が利いていますね。 (前略は無視して)第三段落では、さながら自殺を教唆するかの内容です。人間を時計に喩えるのはどうかと思いますが(時計も外部に影響を及ぼすとはいえ(アラームなど)、決してみずから位置を変えることはできません)、あくまでもわかり易い比喩として用いたのでしょう。 最終段落に至って、このエッセイで言わんとすることがわかります。結局、自殺についてコメントしたかったのではなく、反戦を訴えたかったのでしょう(ラッセルは第一次世界大戦のとき、反戦活動をして監獄に入れられます)。たしかに自殺に対しては人命尊重をもちだして、戦争に対してはそれを忘れるというのはフェアではありません。第三段落で突き放した言い方をしたのは、一方で人命を尊重しながら戦争を支持する愚かな人など死んでしまえと思ったからかもしれません。 -------------------------------------------------------------------------- Re デイヴィド・ ヒューム『人性論 一~四』復刊 投稿者:松下彰良 投稿日: 1月14日(土)23時35分28秒 pd32a0a.sitmnt01.ap.so-net.ne.jp サトウさん ヒュームの『人性論』復刊のお知らせ、ありがとうございます。 岩波から出されたものは、そんなに売れなくとも、ある一定量、毎年売れるものは復刊してくれるからいいですね。『人生論』も、ボリュームが多いことも影響して、あまり売れない(しかし、全国の大学図書館は買ってくれる)だろうと思われます。 (松下) https://fukupen.com/umetaroh/index.html ---------------------------------------------------------------------------- 知の編集 投稿者: 泉 投稿日: 1月14日(土)22時28分12秒 p3131-air02hon32k.tokyo.ocn.ne.jp 散逸している知の断片を集める試み。 「多様性は、ただ誤りによってのみ築かれる」 言葉は、そのなかに何も閉じこめることはできない 言葉が意味を持つのは、言い得ないものをいかにして 伝達するかという不可能の極限に、それが置かれたときのみである。 名付けることは、破壊することである。 言葉は、言い表すことのできないものを伝えるための 矛盾と欠陥に満ちた手段でしかないことを識らないものは、 言葉に喰われてしまう。 https://ameblo.jp/skyland https://ameblo.jp/skyland ---------------------------------------------------------------------------- 補足 投稿者:サトウ 投稿日: 1月13日(金)00時30分9秒 i218-47-22-37.s02.a013.ap.plala.or.jp 以下は復刊ドットコムのリンク先です。 https://www.fukkan.com/vote.php3?no=2 --------------------------------------------------------------------------- デイヴィド・ ヒューム『人性論 一~四』復刊 投稿者:サトウ 投稿日: 1月13日(金)00時23分3秒 i218-47-22-37.s02.a013.ap.plala.or.jp 復刊ドットコムよりデイヴィド・ ヒューム『人性論 一~四』(岩波書店)が再販されます。 ラッセルは、人事において合理性を重んじすぎるとして、批評家からたびたび非難されてきました。『ヒューマン・ソサエティ』の序文では、次のヒュームのフレーズを引用して、それに対する自己弁護をしています。 「理性は情熱の奴隷であり、またそれにとどまるべきである-ヒューム『人性論』-」 この見解の当否は別にしても、ヒュームは英国におけるラッセルの先達にあたり、ヒュームを読むことは、ラッセル思想を理解する一助になるかと思います。 --------------------------------------------------------------------------- |