知識・哲学・論理
- 「知性」という言葉は,正確に言えば,すでに獲得された知識よりも,知識を獲得する知的能力をさしていることは,疑問の余地はない。
- 動物,機械,雷雨,及び,あらゆる種類の手作業が子供の好奇心をかき立てる。
- 昔学校で教えられたことは,大部分それ自体は無益なものであったが,正確さを教えるという長所を持っていた。
- たとえば,ほとんどのアメリカ人は,ラトヴィアを好悪の感情なく見る。
- 我々は学校を卒業すると,我々の外国に関する知識は,お寒いことであるが,新聞(注:現代においては「マスコミ」)を通じてであり,新聞(注:現代で言えば,TVなどのマスコミ)が我々の外国に関する偏見を満足させない限り(偏見に迎合しない限り),我々はその新聞を買おう(注:TVを見よう)としない。
- 理性的な人間なら誰も疑うことができないほどの確実な知識というものが,この世にあるであろうか。
- 哲学の価値は,実際上,主にまさにその不確実性のなかに求めるべきである。
- 哲学は,それが提出する疑問に対して真の答えが何であるか,確実性をもって教えることはできないが,我々の思考を拡大し,習慣の専制から思考を解放する多くの可能性を示唆できる。
- 哲学において,倫理的中立性はこれまでめったに追求されず、またほとんど達成されてこなかった。
- 幸福は,それを直接追いかける人たちによっては最もよく手に入れられるものではない,とはよく言われることである。
- 記憶-信念について詳しく調査研究する際に,心に留めておかなければならない要点がいくつかある。
- しかし,物理学によれば,草の緑,石の固さ,雪の冷たさというものは,われわれが経験から知っている緑や固さや冷たさではなく,それとはずっと異なったものである。
- 本質的にエピメニデスの矛盾と同様の矛盾は,「この紙の裏面に述べられていることは誤りである。」と書かれた紙を人に渡すことによって創り出せる。
- 家畜は、いつも餌をくれる人の姿を見ると、餌を期待する。
- あることが何度かくりかえして起れば、それだけで,人間や動物にまたそれが起るだろうという期待を抱かせる。
- 命題関数と命題とを混同したために、多くの誤った哲学が生まれました。
- 私はもはや、知性は感覚よりすぐれているとも、プラトンのイデヤの世界のみが「真実の」世界を知らしめるとも、感じない。
- そういう歪みのうち最も根本的なものほ、我々が世界をここといま(時空)の見地から見て、有神論者が神に帰するような広い公平さで見るのではない、ということである。
- もしある人が地球は丸いと信じ,他の人が地球は平らだと信じているのであれば,彼らは一緒に航海に出てこの問題を合理的に決めることができる。
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