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バートランド・ラッセル 宗教と科学 第8章(松下彰良 訳)- Religion and Science, 1935, by Bertrand Russell

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第8章 宇宙の目的 n.14 - 私的空間と公共的空間

 空間に関しても,問題(やっかいなこと)は似ているが,(時間の場合よりも)もっと複雑である。(訳注:ネット上の英和・和英辞典である "weblio" には 「"the matter"(やっかいなこと、困ったこと ★主語にはならない」と記されているが,ここでは前の文を受けて,立派に「主語になっている」。/
https://ejje.weblio.jp/content/the+matter
2種類の空間が存在している(空間には2種類ある)。(即ち)(特定の)一人の人間の経験が置かれている(be situated 位置している)空間(訳注:私的空間)と,物理(的)空間(訳注:公的空間)の2種類である。(後者の)物理(的)空間には,他人の身体,椅子,テーブル,太陽,月,星(等々)を含んでおり,それらは我々の個人的な(私的な)感覚に映し出されるだけでなく,我々がそう思っている(想定している)ように,自分以外の他者にも(同様に)映し出される。この2番目の空間(=物理的空間)は仮設的なものであり,完全な論理を以てすれば,世界には自分(個人)の経験しか存在しないと進んで仮定(想定)しようとする人(注:独我論者)によって否定されうるものである(注:ここでは,物理学と言えども,「個人」による観察データをもとに構築されているものであり、他者の存在も個人の知覚によって「存在しているらしい」と判断されたものだと考える徹底した独我論者のことを言っている/もちろんこれは理論上のことを言っている。もし他者の存在を認めないで回避措置をとらないと独我論者は殺されてしまうかも知れない)ホールデン教授は,このこと(独我論者の見解)を進んで言おうとしているのではないので,従って,彼は自分の経験(データ)以外のものを含む空間を認めなければならない。(前者の)主観的な種類の空間に関しては,私(個人)のあらゆる視覚経験を含む視覚空間があり,触覚空間があり,また,ウイリアム・ジェームスが指摘したように,胃痛の量感(voluminousness 嵩張った,広々した/痛い胃の部分の広がり具合がわかるといったニュアンスか?)等々がある。私が事物の世界におけるひとつの事物と考えられる時には,主観的な空間のあらゆる形態私の中に存在している(訳注:前述の視覚空間も触覚空間も、個人の全ての種類の空間が自分個人のなかに存在している)私が見ている星空(星天)天文学上の遠くにある星空(星天)(そのもの)ではなく,星(恒星)が私に与えた影響(の結果)である。(また)私が見ているもの(事物)は,私の(脳の)中にあるのであり,(私の身体の)外にあるのではない。天文学における星(恒星)は,私の外にある物理(的)空間の中に存在しているが,私がそれらに到達するのは,推論によってだけであり、自分自身の経験の分析によってではない。ホールデン教授の空間は人格内部にある一つの秩序を表しているという陳述は,私個人の空間(私的空間)については真実であるが,物理(的)空間については真実ではない。(即ち)空間は人格を隔てるものでないという彼の付随した陳述は,もし物理(的)空間もまた我々個人の内にあるというなら正しいであろう。この混乱がとり除かれるやいなや,彼の立場はもっともらしさを失ってしまう。

Chapter 8:Cosmic Purpose , n.14

With regard to space, the matter is similar but more complicated. There are two kinds of space, that in which one person's private experiences are situated, and that of physics, which contains other people's bodies, chairs and tables, the sun, moon and stars, not merely as reflected in our private sensations, but as we suppose them to be in themselves. This second sort is hypothetical, and can, with perfect logic, be denied by any man who is willing to suppose that the world contains nothing but his own experiences. Professor Haldane is not willing to say this, and must therefore admit the space which contains things other than his own experiences. As for the subjective kind of space, there is the visual space containing all my visual experiences ; there is the space of touch ; there is, as William James pointed out, the voluminousness of a stomach-ache ; and so on. When I am considered as one thing among a world of things, every form of subjective space is inside me. The starry heavens that I see are not the remote starry heavens of astronomy, but an effect of the stars on me ; what I see is in me, not outside of me. The stars of astronomy are in physical space, which is outside of me, but which I only arrive at by inference, not through analysis of my own experience. Professor Haldane's statement that space expresses an order within personality is true of my private space, not of physical space ; his accompanying statement that space does not isolate personality would only be correct if physical space also were inside me. As soon as this confusion is cleared up, his position ceases to be plausible.
(掲載日:2019.1.24/更新日: )