バートランド・ラッセル『宗教と科学』(松下彰良・訳)
* 原著:Religion and Science, by Bertrand Russell (London; George Allen & Unwin, 1935)
第4章 医学研究と悪魔 イントロ累積版
- 人体及びその病気に関する科学的研究は,かつては -またある程度は今日でも- 多くの迷信と戦わなければならなかった。
- (歴史的な)遺物の効果に対する信仰は,中世を通して増していった。
- 聖フランシスコは,インド,中国,日本で多くの年月を過し,とうとう1552年に亡くなった
- 奇蹟的治癒は、カトリック(旧教徒)と同様,プロテスタント(新教徒)の人たちにも信ぜられた。
- 1348年のペストは,多くの場所で多様な迷信の突然の発生(突発)を引き起こした。
- 精神障害の取扱いは,想像されるように,特に迷信的であり,医学の他のいかなる分野よりもずっと長期間そうであった。
- 中世における精神異常者(狂人)の治療法(treatment 取り扱い方)と密接に関係していたのは,魔術(の存在)に対する信仰であった。
- 魔女術(witchcraft)の問題及びより大きな魔法(magic)や呪術(socery 呪術)の問題は,興味深いと同時に明確ではない(はっきりしない)問題である。
- 今日,魔女術(witchcraft: 特に魔女の魔術)の最も真剣な研究者の中には,キリスト教徒(の)ヨーロッパにおいて,魔女術は異教徒の礼拝(儀式)やキリスト教悪魔研究の悪霊と同一視されるようになっていた異教の神々の信仰(崇拝)の遺物(a survival 残存物)である,と考える者がいる。
- 呪術(sorcery)は,もともと(当初から),女性特有の犯罪と考えられていたわけではない。
- 迫害がその頂点に達した時でさえ,暴風雨,大量のあられ(hail-storms),雷の音(雷鳴)や光(雷光)は本当に女性(婦人)たちのたくらみ(machinations)によって引き起こされるのか(どうか)を危険を冒して疑った勇敢な合理主義者たちが少数ではあるが存在した。
- プロテスタントも,カトリックとまったく同じくらい,魔女の迫害にふけった。
- イングランドよりも魔女の迫害がずっと厳しかったスコットランドにおいて,ジェームズ一世は,デンマークから(スコットランドへ)の航海中彼を悩ませた大暴風雨の原因を発見するのに大いに成功した。
- スコットランドにおける魔女対策法は,イングランドにおける魔女対策法を廃止した同じ1736年の法律によって廃止された。
- 西欧諸国において魔女術に対する刑罰が停止されたのには,驚くべき同時性が存在している(驚くほど時を同じくしている)。
- レッキーは,魔女術の問題を彼の「合理主義の歴史」の中で詳細に扱っており,ブラック・マジック(黒魔術)に対する信仰はこの問題に関する論証によってでなく,法の支配に対する信仰の普及により打ち負かされた,という興味深い事実を指摘した(している)。
- これまで見てきたように,中世時代を通して,病気の予防と治療は,迷信的あるいはまったく恣意的な(arbitary 原則によらず勝手な)方法で試みられた。
- 生理学は解剖学より遅れて発達し,血液循環の発見者ハーヴェー(William Harvey, 1578-1657:イングランドの解剖学者,医師。1628年に血液循環説を発表)ともに科学的になったと見てよいだろう。
- 人類(人間)の苦しみを和らげること阻止するための神学的干渉のもう一つの機会(場合)は,麻酔の発見であった。
- 医学上の問題に対する神学の介入はまだ終っていない。
- このようにして,聖書のテキスト(本文/章句)に由来するカトリック教会の教義だけでなく,聖書のテキスト(本文/章句)そのものも,成長(発達)の最も初期にある人間の胎児にも適用できるとと考えられた。
第5章