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バートランド・ラッセル 宗教と科学 04-15(松下彰良 訳)- Religion and Science, 1935, by Bertrand Russell

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第4章 悪魔研究と医学 n.15 - "魔女"の最後の火刑


ラッセル著書解題
 西欧諸国において魔女術に対する刑罰停止されたのには,驚くべき同時性が存在している(驚くほど時を同じくしている)。英国においては,魔女術への信仰は,英国国教徒よりも清教徒(プロテスタント)の間で強固に持ちつづけられていた。共和政(注:the Commonwealth = the Commonwealth of England:イングランド共和国/共和制イングランド:イングランド内戦の後にイングランド王国およびスコットランド王国に代わって1649年から1660年まで清教徒のクロムウェル(死後はその息子)が支配した政治体制)の間も,チューダー朝やスチュアート朝の全統治間と同じくらい魔女術(使い)に対する多くの処刑が行われた。(1660年の)王政復古とともに,この問題(魔女術)に対する懐疑主義が流行り始めた。確かに知られている最後の処刑(死刑執行)1682年に行われた。ただし,1712年になっても(as late as)別の処刑が行われたとも言われている。同じ年に,,(英国)ハートフォード州(注:大ロンドンの北に隣接した州)で,同地域の牧師たちによって扇動されて起こされた裁判があった。裁判官は魔女術の犯罪の可能性を信じておらず,そういう意味で陪審たちを指導した。(つまり)陪審員たちは,それにも拘わらず,被告に有罪の判決を下したが,しかし,その判決は(裁判官によって)取り消された。そして,そのことは牧師たちの激しい抗議へと導いた。魔女の拷問や処刑がイングランドにおけるよりもずっと日常的であったスコットランドにおいても,17世紀末以後はそれらは稀になった。魔女の最後の火刑は,1722年,あるいは1730年に行われた。フランスにおいては最後の火刑は1719年に行われた。(アメリカ大陸の)ニュー・イングランドにおいては,魔女狩りのはげしい騒動が17世紀末に起ったが,(それ以後)再び繰返されることはなかった(訳注:現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村で1692年3月1日に始まったセイラム魔女裁判では、200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑された)。到るところで魔女の俗信(popular belief 世間通念)は続いた。辺境の地域では今日でもそれは生き残っているところがある。イングランドにおけるその種の最後の事件は1863年にエセックスで起こっており,その時には一人の(男性の)老人が男魔術師(魔術使い)だとして隣人によって私刑によって殺害されている(リンチされている)。法的に犯罪の可能性があるものとして魔術使いを認識することは,スペインとアイルランドにおいて一番遅くまで存続した。アイルランドでは魔女取締法は1821年まで廃止されなかった。スペインでは,一人の呪術師が1780年に焼殺された。

Chapter IV Demonology and Medicine, n.15


There is a remarkable simultaneity in the cessation of punishments for witchcraft in Western countries. In England, the belief was more firmly held among Puritans than among Anglicans ; there were as many executions for witchcraft during the Commonwealth as during all the reigns of the Tudors and Stuarts. With the Restoration, scepticism on the subject began to be fashionable ; the last execution certainly known to have taken place was in 1682, though it is said that there were others as late as 1712. In this year, there was a trial in Hertfordshire, instigated by the local clergy. The judge disbelieved in the possibility of the crime, and directed the jury in that sense ; they nevertheless convicted the accused, but the conviction was quashed, which led to vehement clerical protests. In Scotland, where the torture and execution of witches had been much commoner than in England, it became rare after the end of the seventeenth century ; the last burning of a witch occurred in 1722 or 1730. In France, the last burning was in 1718. In New England, a fierce outbreak of witch-hunting occurred at the end of the seventeenth century, but was never repeated. Everywhere the popular belief continued, and still survives in some remote rural areas. The last case of the kind in England was in 1863 in Essex, when an old man was lynched by his neighbours as a wizard. Legal recognition of witchcraft as a possible crime survived longest in Spain and Ireland. In Ireland the law against witchcraft was not repealed until 1821. In Spain a sorcerer was burnt in 1780.
(掲載日:2018.09.30/更新日: )