第4章 悪魔研究と医学 n.1- 神の所業か悪魔の仕業か?人体及びその病気に関する科学的研究は,かつては -またある程度は今日でも- 多くの迷信と戦わなければならなかった。それらの迷信は,大部分はキリスト教誕生以前に起源を持つものであるが,ごく最近まで教会の権威によって全面的に(by the whole weight 全力で)支えられていたものである。病気は,時には罪の処罰における神による天罰であったが,それよりもずっとしばしば悪魔の仕業とされた。それは,聖人の仲介によって -(存命の)聖人本人かあるいは(聖人の)遺物を通して- 治療された。あるいは,祈りや巡礼(をすること)によって治された。また,(悪魔が原因の場合は)悪魔祓い(exorcism 魔除け)や,悪魔(及び患者)が忌み嫌うような手当(treatment 治療)によって治された。これらの多くのものに対する支持を福音書の中に見つけることができる。また(それらを支持する)理論の別のもの(the rest of the theory)は教父たちによって展開されたかあるいは彼らの教説から成長した(grew 育った)。聖アウグスティヌスは,「キリスト教徒の全ての病はこれらの悪魔のせいである。主に,悪魔は洗礼を受けたばかりのキリスト教徒を苦しめ,いや(yea),罪のない生まれたばかりの赤ん坊さえも苦しめる」と主張している。教父たちの著作(の中)において,「悪魔」とはキリスト教の発展により怒ったと思われる異教徒の神々(heathen deities)を意味していることを理解しなければならない。初期キリスト教徒たちは,決して,オリンボスの神々の存在を否定していなかったが,それらは悪魔の召使い - J. ミルトンは「失楽園」の中でその見解を採っている- と想定した。ナジアンゾスのグレゴリオス(注:ギリシア教父のひとりで4世紀の東ローマ帝国のキリスト教神学者)は,医学は役に立たないが,聖別された手(consecrated hands 聖別の儀式が行われた手)を(苦しむ者の体に)置くことはしばしば効果があると主張している。同様の見解が他の教父たちによって表明された。 |
Chapter IV Demonology and Medicine, n.1For much of this, support could be found in the gospels ; the rest of the theory was developed by the Fathers, or grew naturally out of their doctrines. St. Augustine maintained that "all diseases of Christians are to be ascribed to these demons ; chiefly do they torment fresh-baptized Christians, yea, even the guiltless new-born infants." It must be understood that, in the writings of the Fathers, "demons" mean heathen deities, who were supposed to be enraged by the progress of Christianity. The early Christians by no means denied the existence of the Olympian gods, but supposed them servants of Satan -- a view which Milton adopted in "Paradise Lost." Gregory Nazianzen maintained that medicine is useless, but the laying on of consecrated hands is often effective ; and similar views were expressed by other Fathers. |