第7章 革命的な権力 n.15 - 人権革命という大変動(三) フランス市民革命とナショナリズム西欧世界は,宗教改革から1848年(注:ウィーン体制の崩壊)に至るまで,人権革命とも言って良い絶えざる大変動を経験していた。1848年に,この運動はライン河以東ではナショナリズムへと変容し始めた。フランスにおいては,両者(人権革命とナショナリズム)の結びつきは,1792年(注:フランス市民革命)から存在しており,また,イギリスにおいては最初から存在していた。アメリカにおいては,1776年(注:アメリカ独立宣言)以降存在していた。この運動のナショナリズムの面は,次第に人権の面を圧倒してきたが,当初は人権の面の方がより重要であった。 今日では,この人権(というもの)に対し,それは浅薄な十八世紀的美辞麗句に過ぎないとして,嘲笑をあびせることが慣例となっている。確かに,哲学的に考察する場合には,この説(天賦人権説)は擁護できない。しかし,歴史的及び実用主義的に見れば(この説は)有益であったし,また(しかも),天賦人権説は我々が多くの自由を勝ち得るのを手助けしたのであり,我々はそれらの多くの自由を(現在)享受している(のである)。ベンサム主義者(功利主義者)にとって「権利」というような抽象的な概念は受けいれることができないが,功利主義者は(功利主義者なら),実際的な目的のために,以下のような言葉で,同様の説を述べることができる(だろう)。 「全体の幸福が増すのは,(もし)一定の範囲が定められ(範囲が限定され),その範囲内において,各人がいかなる外的な権威(権力)に干渉されることなく自分たちの意のままに自由に行動することができる場合である。」裁判権(注:administration of justice 司法行政)もまた,天賦人権説の擁護者たちの関心を引いた問題であった。(即ち)彼らは,いかなる人間も,然るべき法の手続きをへずに,生命または自由を奪われることがあってはならないと考えた。これは,正しいにせよ,間違っているにせよ,哲学上の不合理をまったく含んでいない意見である。 |
Chapter VII: Revolutionary Power, n.15III. The French Revolution and Nationalism.The Western world, from It is customary in our day to pour scorn on the Rights of Man, as a piece of shallow eighteenth-century rhetoric. It is true that, philosophically considered, the doctrine is indefensible ; but historically and pragmatically it was useful, and we enjoy many freedoms which it helped to win. A Benthamite, to whom the abstract conception of "rights" is inadmissible, can state what is, for practical purposes, the same doctrine in the following terms : "The general happiness is increased if a certain sphere is defined within which each individual is to be free to act as he chooses, without the interference of any external authority."The administration of justice was also a matter that interested the advocates of the Rights of Man; they held that no man should be deprived of life or liberty without due process of law. This is an opinion which, whether true or false, involves no philosophical absurdity. |