子供の心、「親知らず」
特別な恐怖はさておき,子供は漠然とした不安に陥りやすい。そういった不安は,一般的に年長者からの抑圧が強すぎることに原因があり,それゆえ,(今日では)以前よりもずっとまれになっている。昔は,延々と小言を言ったり,騒ぐことを禁じたり,絶えず行儀作法を教えたりということで,幼年期をみじめな時期にしてしまっていた。私は5歳の時,幼年時代は人生で一番幸福な時期だ,と言われたのを覚えている(当時を思えば,真っ赤な嘘である)。【注: a black lie (悪意のある嘘)ではなく a blank lie となっている。誤植の可能性もあるとは考えたが,George Allen & Unwin Limited 社1927年刊の第3刷ハードカバー版も,同社1976年刊のペーパーバック版んもともに a blank lie となっていることから誤植ではなさそうである。比較的大きな英和辞典にも a blank lie という熟語は載っていないが,Webを検索すれば用例は確かに存在している。なお blank(空虚な;白紙の)には「純然たる」といった意味があるので,「真っ赤な嘘」という意味と思われる。】私は,慰めようもないくらい泣き,死んでしまいたいと思い,また,これからの年月,どのようにして退屈に耐えるべきだろうかと思案した。今日では,子供に向かってそんなことを言う人がいるとはほとんど想像できない。子供の人生は,本能的に前向きである。つまり,つねに,将来可能になるだろうことに向かっている。このことは,子供の努力に対する刺激の一部である。子供の心を後向きにすること,未来を過去よりも悪いものとして示すことは,子供の人生を根元から害するものである。しかし,それは,心ない感傷主義者たちが,以前,子供に向かって幼年時代の喜びを語ることによってやっていたことである。幸い,彼ら(ラッセルの家族)の言った言葉の印象は,そう長続きしなかった。たいていの場合,私は,大人は勉強しなくてもいいし,好きなものが食べられるのだから,彼らは完全に幸福なのにちがいない,と信じていた。この信念は健康かつ心を活気づけるものであった。
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Pt.2 Education of Character)_Chap. 4:_Fear)
Apart from special fears, children are liable to a diffused anxiety. This is generally due to too much repression by their elders, and is therefore much less common than it used to be. Perpetual nagging, prohibition of noise, constant instruction in manners, used to make childhood a period of misery. I can remember, at the age of five, being told that childhood was the happiest period of life (a blank lie, in those days). I wept inconsolably, wished I were dead, and wondered how I should endure the boredom of the years to come. It is almost inconceivable, nowadays, that anyone should say such a thing to a child. The child's life is instinctively prospective : it is always directed towards the things that will become possible later on. This is part of the stimulus to the child's efforts. To make the child retrospective, to represent the future as worse than the past, is to sap the life of the child at its source. Yet that is what heartless sentimentalists used to do by talking to the child about the joys of childhood. Fortunately the impression of their words did not last long. At most times I believed the grown-ups must be perfectly happy, because they had no lessons and they could eat what they liked. This belief was healthy and stimulating.
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