バートランド・ラッセル『結婚論』(松下彰良・訳) - Marriage and Morals, by Bertrand Russell
第21章 結論 イントロ累積版
- これまでの議論の過程で,我々は,いくつかの結論に到達した。
- かなり近代になってから,性道徳のキリスト教的および前キリスト教的な要素(parts 部分/パーツ)が修正されつつある兆し(sign 兆候)が現われてきている。
- それゆえ,両親が揃った家族は,将来,女性の禁欲を昔ほど厳しく要求しなくても(注:性的自由を認めても)存続するかもしれな
- もしも,家族(制度)の崩壊が起こるとしたらそれは喜ぶべき事柄ではない, と私には思われる。
- 社会学的な問題は,しばしば困難で複雑である一方,個人的な問題は,ごく単純であるように,私には思われる。
- 確かに,古い制度から新しい制度への移行は(移行には),すべての移行がそうであるように,それぞれ固有の困難がある。
- 新しい道徳が,ビュリタニズム(清教徒主義)に基づく伝統的道徳と異なる一般的な原理はこうである。
- 人生において自制がどの程度必要かは,幼年期に本能をどう扱ったかにかかっている。
- これらの一般的な考察は,特に有効に,性的衝動にあてはまる。
- 現代世界には,因習的な教えに対する多種多様な度合いの反抗が見受けられる。
- 性道徳は,ある種の一般的な諸原理(原則)から導き出されなければならず,その原理から引き出される(その原理に由来する)結果については意見の大きな不一致があるとしても,その原理(そのもの)については,おそらく,かなり広範な意見の一致がなければならない。
- 親の子供に対する義務は,自分は道徳的であると考えている多くの人びとによって,私にはとても正当と思えないくらい,軽く扱われている。
- より大きな自由を分別をもって主張している人が望むものは,古くて,厳格で、拘束的な処世訓のもとで育てられた成人(たち),あるいは青年(たち)をさえ,あらゆる道学者が彼らに残した,損なわれた衝動が向かうがままにしておけば即座に得られる,と思っては(想定しては)いけない。
- 私が説きたいと思う原理は,放縦の原理(licence 好き勝手にすればよいという原理)ではない。