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バートランド・ラッセル 結婚論 第16章 離婚 n.13(松下 訳)- Marriage and Morals, 1929, by Bertrand Russell

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子供の立場から見た離婚


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 離婚の法律については,ここまでとしよう。(法律の問題と)(社会)慣習は別の問題である。既にこれまで見てきたように,法律は,離婚を容易にすることができる一方,それにもかかわらず,(社会)慣習は,離婚を稀なものにする(している)。アメリカであれほど離婚が頻発するのは(原因は),私見によれば,一部は,人びとが結婚に求めるぺきでないもの(こと)を求めているという事実からきているが,このことは,今度は(in turn 同様に),一部は,姦通(不義密通)が大目に見られていないという事実のせいなのである。
 (法的制度である)結婚は,少なくとも子供が幼い間は,両当事者が続けるつもりでいるパートナーシップ(協力関係)であるべきであり,(両当事者の)どちらも(either),一時的な情事に左右されるものとみなすべきではない。もしも,そのような一時的な情事を,世論関係者の良心が寛容の目(心)で見ないのであれば,各々の(個々の)情事は,その都度,結婚にまで発展しなければならない(ならなくなる)。これでは,容易に,両親が揃った家族は完全に破壊されてしまうかもしれない。というのも,もしも女性が二年ごとに新しい夫を迎え(注:これには古い夫との離婚が含まれる。),それぞれの夫で新しい子供を生むとしたら,子供たちは事実上(in effect)父親を奪われ,結婚は,従って,その存在理由を失うからである。(こうして)我々は,再び,聖パウロ(の考え方)に戻ってくる。即ち,アメリカにおける結婚は,「コリント前書」にあるように,私通に代わる手段(注:情事がしたくて我慢できないなら結婚せよ,という考え方)と考えられているのである。従って,(妻がいる)男が離婚ができないのなら私通をしたいと思う時はいつも,(つまり,結婚外の私通が大目にみられない社会においてはいつも)(私通の結果として)離婚をしなければならない(のである)。(注:米国は、結婚している者の私通を認めるよりも、離婚を容易にすることによって、結婚している者の私通を制限する社会だということ。)

Chapter XVI: Divorce, n.13

So much for the law of divorce ; the custom is another matter. As we have already seen, it is possible for the law to make divorce easy while, nevertheless, custom makes it rare. The great frequency of divorce in America comes, I think, partly from the fact that what people seek in marriage is not what should be sought, and this in turn is due partly to the fact that adultery is not tolerated. Marriage should be a partnership intended by both parties to last at least as long as the youth of their children, and not regarded by either as at the mercy of temporary amours. If such temporary amours are not tolerated by public opinion or by the consciences of those concerned, each in its turn has to blossom into a marriage. This may easily go so far as completely to destroy the bi-parental family, for if a woman has a fresh husband every two years, and a fresh child by each, the children in effect are deprived of their fathers, and marriage therefore loses its raison d'etre. We come back again to St. Paul: marriage in America, as in the First Epistle to the Corinthians, is conceived as an alternative to fornication ; therefore whenever a man would fornicate if he could not get a divorce, he must have a divorce.
(掲載日:2016.12.08/更新日: )