第18章 「批評に対する若干の返答」その3_外延的指示についてのストローソン氏の見解 07語(言葉)には、不変の正しい使用法があり、いかにそれが便利であったとしても、いかなる変更も許容されるべきではない、という確信をストローソン氏が示すのは、単に固有名及び(命題の)偽に関してだけではない。ストローソン氏は、全称肯定命題(universal affirmatives),即ち、「全てのAはBである」という形式の文についても、同様の感情を示している。 伝統的には、このような文においては、「Aが存在する(存在している)」ことを含意して(含んで)いると想定されている。しかし、数学的論理学においては、この含意を捨てて、「全てのAはBである」はたとえAが存在しなくとも真であると考える方がはるかに便利である(訳注:日常言語とことなり、論理学や数学では「慣用の原理」でそう考えます。たとえば、「AまたはBどっちかをあげる」と言えば、普通の意味ではAかBの一方だけと言うことになりますが、数学や論理学では、A,Bの両方の場合も含まれます)。これも全くただ単に便宜上の問題である。いくつかの目的にはある一つの規則(convention)が便利であり、他の目的には他の規則が便利である。我々は持っている目的によって、一つの規則をより好す。けれども、私は、日常語は正確な論理を全く持たないというストローソン氏の陳述(同書、p.52)には同意する。ストローソン氏は、実際非常に論理的能力をもっているにもかかわらず、論理学に対して奇妙な偏見を抱いている。同書の p.43では、人生は論理学よりも偉大であるという趣旨の言葉を突然熱狂的に述べ(a sudden dithyrambic outburst 酒神礼賛の熱狂的な言葉)、それを使って、私の学説の全く誤まった解釈を与えている(のである)。 |
Chapter 18,n.3: Mr Strawson on referring, n.7
Mr Strawson, in spite of his very real logical competence, has a curious prejudice against logic. On page 43, he has a sudden dithyrambic outburst, to the effect that life is greater than logic, which he uses to give a quite false interpretation of my doctrines. |