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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 14-08 - My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

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第14章 普遍者、個別者、固有名 n.8 - 主体としての個別者を立てる必要なし

 個物(個別者)に関する上記の困難を扱う私の最初の試みは、1911年に、アリストテレス協会(訳注:英国最大の哲学会)で読みあげた論文 「普遍(者)と個物(個別者)との関係について」であった。その時は、ベルクソンの出席によって威厳を増していたが、彼は、 証明が必要なのは、普遍者の存在ではなく個別者の存在であると私(ラッセル)は考えているように思われると言って、驚いていた(remark with surprise)。この論文において私は一つの仮説を吟味し、しりぞけたが、 その仮説はそれ以来,私は採用してきている(訳注:In this paper I examined, but rejected, a hypothesis which I have since adopted. 前文が「examined」「rejected」と過去形になっており、後文は 「have since adopted」と現在まで続いている現在完了形になっていることに注意)。 その仮説というのは、種々の性質(quality) が内在する(inhere)主体 (subject) として個別者を立てる必要はないという仮説であり、その仮説によれば、諸性質の束が個別者の代りになることができる(というものである)。当時この説をしりぞけたのは、数的異他性 (numerical diversity) と、それが空間と時間とに対してもつ関係の問題のためであった(訳注:1911年では、一般相対性理論は発表されていなかったので、space-time ではなく、「space and time」と表現されている)。そして(1911年)当時私は、心的現象が主観と客観との関係で成り立っていると信じており、主観は針の先のような個物(個別者)の性格を持っていると信じていた(のである)。そこで、空間的=時間的位置の相対性のゆえに、感覚的世界には個物(個別者)のあることが必要だと論じた後、私は二人の人間の間の相違(違い)に関しても全く同様な議論を進め、私は次のように言った。(訳注:あくまでも、間違った思考をした例について述べていることに注意)

Chapter 14, n.8


ラッセル英単語・熟語1500
My first attempt to deal with the above difficulties as to particulars was a paper read before the Aristotelian Society in 1911, ‘On the Relations of Universals and Particulars'. The occasion was dignified by the presence of Bergson, who remarked, with surprise, that I seemed to think it was the existence of particulars, not of universals, that needed proving. In this paper I examined, but rejected, a hypothesis which I have since adopted. According to this hypothesis, there is no need of particulars as subjects in which qualities inhere. Bundles of qualities, according to this hypothesis, can take the place of particulars. What led me to reject this view at that time was the problem of numerical diversity and its connection with space and time. I believed, at that time, that mental phenomena consist in relations between subjects and objects, and that the subjects have the character of pin-point particulars. After arguing from the relativity of spatio-temporal position to the need of particulars in the sensible world, I went on to a closely similar argument as regards the difference between two persons. I said:

(掲載日:2022.01.26/更新日: )