第14章 普遍者、個別者、固有名 n.6 - 意味と意義;動詞と動名詞の違い
この(上記の)一節の中には、誤まりだと後に考えるにいたった多くのことが存在している(含まれている)。私は(自分の)「記述理論」と「型の理論(doctrine 学説)」とによって見解を変えるにいたったのである。 「記述理論」によって私 は、一つの語が分離されると何の意味も持たず,(文の一部に含まれる時には)文の意義に寄与することがありうると信じるようになった(訳注:ラッセルは、単語の場合は「意味 meaning」を、文の場合は「意義 significance」をというように、使い分けています)。以前には(記述理論発見の前)、たとえば定冠詞 the は、プラトン的天国において有徳な論理学者が出あうことを期待(希望)してよいような何らかの奇妙な対象を指示していると考えていた。記述理論は、そのような期待(希望)を放棄させた。「型の理論(学説)」もまた、『数学の諸原理』の示した無邪気な(素朴な)単純さから、私を引き離した。(即ち、)語の中には、他の語の代りに置くと無意味を生まざるをえないようなものがあるということが明らかとなった(のである)。以前から私は、動名詞が動詞と同じ意味を持ちながら文の主語となりうること(事実) ― たとえば「殺すことは必ずしも殺人ではない」 (killing no murder) という文のなかで 動名詞の killing が主語なることができること - に強い印象を持っていた(訳注:「暴君を殺害することは殺人ではない」という意味らしく、1657年に出版されたクロムウェル暗殺を提唱するパンフレットのタイトルのようです)。しかし私は、そういう文はもし無意味でないとしたら(無意味でない場合には)、動詞が動詞として現われ名詞としては現われない(複数の)文の省略形(省略されたもの)(訳注:sentences と複数形になっていることに注意)であるはずだと考えるにいたった。 たとえば、「殺すことは殺人ではない」は「たとえAがBを殺しても、AがBに対して殺人罪を犯したということには(必ずしも)ならない」 (If A kills B, it does not follow that A murders B.) という形に展開されねばならないであろう。そうして、そういう翻訳が不可能であるならば、その文は無意味となる。即ち、「ソクラテスを殺すこととは二つである」 (Socrates and killing are two.)」は「型の理論(学説)」によれば不当な文となる。「ソクラテスと殺すこととは一である」 (Socrates and killing are one.) も同様であろう。
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Chapter 14: , n.6
There is much in this paragraph that I came later to think erroneous. I was led to alter my views by the theory of descriptions and the doctrine of types. The theory of descriptions persuaded me that a word may contribute to the significance of a sentence without having any meaning in isolation. I had thought that the word 'the', for example, denotes some curious kind of object which the virtuous logician may hope to meet in the Platonic heaven. Such hopes the theory of descriptions caused me to abandon. The doctrine of types caused me another departure from the naive simplicity of The Principles of Mathematics. It appeared that some words cannot be substituted for others without producing nonsense. I had been impressed by the fact that a verbal noun has the same meaning as a verb, but can be the subject of a sentence as, for example, in the statement: ‘killing no murder’. I came to think that such statements, when not nonsensical, are abbreviations of sentences in which the verb appears as a verb and not as a noun. ‘Killing no murder’, for example, would have to be expanded into 'If A kills B, it does not follow that A murders B’. When such a translation is impossible, the sentence is nonsense. ‘Socrates and killing are two' would be an illegitimate sentence according to the doctrine of types; and so would ‘Socrates and killing are one'.
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