第5章 「一元論にそむいて多元論へ」 n,12
(続き)
それゆえ、関係はそれらの諸項(=各項)の「本性(性質)」あるいは諸項からなる全体の「本性(性質)」に必然的に根拠づけられているという公理(注:axiom 最も基本的な仮定。ここでは「内面的関係説」)に反対すべき諸理由が存在しており、逆に賛成すべき理由はまったく存在していないように思われる。(そうして)この公理が拒否されるならば、ある関係項の「本性(性質)」について語ることは無意味になる。関係性(関係づけられていること)は、もはや複合性の証拠となるものではまったくなく、所与の関係は諸項の多くの異なる対(ペア)の間に成立することができ、また所与の項は異なった項への多くの異なる関係をもつことが可能である(注:複合体に対するものはライプニッツのモナド(単子)/モナドは部分を持たない単純な実体なので、複合的なもの同士が関係するような意味で「関係」することはできない。即ち、モナドには窓がない)。「差異における同一性」は消滅する(注:一元論の根拠の消滅)。(つまり)同一性があり、(また)差異があり、またいろいろな複合体(複合物)は同一の要素をもちうるとともに異なる要素をもちうるけれども、言及される対象のいかなる組合せについてもそれらの対象は「同一であるとともに異なっている」ということを余儀なくさせられることはもはやない。それは「ある意味で」そうであり(「同一であるとともに異なっている」のであり),未定義のままにしておくことが必須のものである。このようにして,多くのものからなる世界を手に入れ、それらの物(多くの物)の間の関係は、それらの物のもついわゆる「本性(性質)」、即ち,スコラ哲学的本質から演繹される必要がなくなる。この世界では、すべての複合物は、関係づけられた単純な事物から成り、もはや分析があらゆる段階で無限後退に直面することはなくなる。このような世界を前提として(想定して)して、真理の本性に関して我々は何を主張することができるかを尋ねることが(課題として)残っている。
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Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.12
There would seem, therefore, to be reasons against the axiom that relations are necessarily grounded in the 'nature' of their terms or of the whole composed of the terms, and there would seem to be no reason in favour of this axiom. When the axiom is rejected, it becomes meaningless to speak of the 'nature' of the terms of a relation: relatedness is no longer a proof of complexity, a given relation may hold between many different pairs of terms, and a given term may have many different relations to different terms. 'Identity in difference' disappears: there is identity and there is difference, and complexes may have some elements identical and some different, but we are no longer obliged to say of any pair of objects that may be mentioned that they are both identical and different -- 'in a sense', this‘sense' being something which it is vitally necessary to leave undefined. We thus get a world of many things, with relations which are not to be deduced from a supposed 'nature' or scholastic essence of the related things. In this world, whatever is complex is composed of related simple things, and analysis is no longer confronted at every step by an endless regress. Assuming this kind of world, it remains to ask what we are to say concerning the nature of truth.
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