バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』(松下彰良・訳)
* 原著: My Philosophical Development, by Bertrand Russelll London; George Allen & Unwin, 1959総目次
第4章_観念論への脇道_イントロ累積版
- J. S. ミル以外の職業哲学者と、その著書において,ま,た直接に会ったのは、1890年10月にケンブリッジ(大学)に行ってから(入学してから)(が)初めてのことであった。
- 私が学部生であった時,ケンブリッジ(大学)における数学教育は間違いなく悪いものであった。
- 優等生試験の後,大学での次の学究上のステップは、給費研究員資格請求学位論文(a Fellowship dissertation)を執筆することであった。
- 私の最初の哲学書『幾何学の基礎に関する一考察』(An Essay on the Foundations of Geometry)は、給費研究員資格請求論文に手を入れたもの(推敲したもの)であったが、今の私にとってはいくらか馬鹿げたものに思われる。
- けれども、その後に続いたもの(ラッセルの論文)はもっとひどいものであった。
- 私は,若かった時 --もしかすると現在でもそうかも知れないが-- 自分自身の理論が決定的に正しいものであること(finality 最終的なもの/決定的なもの)に対して、ほとんど信じられないほどの楽観主義(楽観的態度)を抱いていた。
- 物理学の哲学において、二つの問題(問い)が特に私の興味をひいた。
- 私が関心をもったもう一つの問題は、物質が空虚な空間によって切り離されている諸原子から成っているのか、それとも全空間(全宇宙)に広がるプレナム(注:"plenum":物質が充満した空間)から成っているのか、という問題であった。
- 1896年(注:ラッセル24歳)から1898年にわたって物理学の哲学について私が書いたものを今読みかえしてみると、(これらの論文は)全く無意味なものであると私には思われる。