(本館)  (トップ) (分館)
バートランド・ラッセルのポータルサイト用の日本語看板画像

バートランド・ラッセル 自伝 第3巻 - 私的生活の比重増大(松下彰良 訳) - The Autobiography of Bertrand Russell, v.3

前ページ 次ページ v.3,chap.1 (Return to England) 目次 Contents (総目次)

第3巻序文


 本書は,いま世界を分裂させている大きな問題がいまだ解決をみないでいる間に,出版されようとしている。今までのところ,またこの先しばらくの間も,世界は疑問のままであるに違いない。いまだ希望と不安のどっちつかずの状態で宙ぶらりんな状態にあるに違いない。私は問題が解決される前に死にそうである。私が残すべき最後(最期)の言葉を (訳注:原著には出典が書かれていませんが,以下はシェリーの詩 Hellas からとられたものです。上田和夫(訳)『シェリー詩集』(彌生書房,1967年)を参考にしました。)

  輝かしい時代は過ぎ去り,
  我々は暗黒の時代へと向かっている

とすべきか,あるいは,時々そう希望することを自らに許しているように,

  偉大な時代が再び始まり,
  黄金時代が戻り,・・・
  天は徴笑み,信仰や王国は
  消えゆく夢の名残りのようにひらめく

 としたらいいのか,私にはわからない。

 私は,ささやかながら希望の側にウエイトを加えてバランスをとるために,できるだけのことをしてきたが,それも,巨大な力に抵抗する,取るに足りない骨折りでしかなかった。私の世代がなしおおせなかったことを,次の世代が成功してくれることを願っている。

 1944年の年のうちに,第二次大戦が終わりつつあること,しかもドイツの敗戦で終わりつつあることがしだいに明白になった。そのことが,われわれが英国に帰国することを可能にし,また,--ジョン(長男)を除いて--,大きな危険をおかすこともなく子供たちを一緒に連れ帰ることを可能にしてくれた。ジョンは,帰国しようがアメリカに留まろうが,いずれにしても徴兵にとられそうであった。ところが幸運にも終戦が早くやって来たので,この徴兵にともなう'厄介な選択'(アメリカと英国のどちらで徴兵されるか)をしないですんだ。
 帰国後の生活は,以前と同様,公的および私的のさまざまの出来事の混じったものであったが,私的な部分の方がますます重要なものとなった。そうして,私は,ずっと以前に済んでしまった私的あるいは公的な出来事と,今なお続いていてそのまっただ中に自分が生きている出来事とを,同列に語ることはできないということに気づいている。そのことがもたらす取り扱い方(語り方)の違いに,読者のなかには驚かれる方もいるかもしれない。私としては,読者が,取り扱い方(語り方)が多様になることは避けられないことを理解していただき,「文書による名誉棄損」の法律のために,やむをえず口が重くなるのも仕方がないと認めてくれることを望むことしかできないのである。

v.3,chap.1: Return to England

This book is to be published while the great issues that now divide the world remain undecided. As yet, and for some time to come, the world must be one of doubt. It must as yet be suspended equally between hope and fear.
It is likely that I shall die before the issue is decided - I do not know whether my last words should be :
The bright day is done
And we are for the dark.
or, as I sometimes allow myself to hope
The world's' great age begins anew,
The golden years return ...
Heaven smiles, and faiths and empires gleam,
Like wrecks of a dissolving dream.
I have done what I could to add my small weight in an attempt to tip the balance on the side of hope, but it has been a puny effort against vast forces. May others succeed where my generation failed.

During the year 1944, it became gradually clear that the war was ending, and was ending in German defeat. This made it possible for us to return to England and to bring our children with us without serious risk except for John, who was liable for conscription whether he went home or stayed in America. Fortunately, the end of the war came soon enough to spare him the awkward choice which this would have entailed.
My life in England, as before, was a mixture of public and private events, but the private part became increasingly important. I have found that it is not possible to relate in the same manner private and public events or happenings long since finished and those that are still continuing and in the midst of which I live. Some readers may be surprised by the changes of manner which this entails. I can only hope that the reader will realise the inevitability of diversification and appreciate the unavoidable reticences necessitated by the law of libel.
(掲載日:2009.05.17/更新日:2011.11.27)