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『ラッセル自伝』AB23-160(松下彰良・訳)

次ページ 前ページ  v.2,chap.3 (China) 目次  Contents (総目次)
(第2巻第3章 中国・日本)(承前)

の画像  私たちは,カナディアン・パシフィック社の船で,横浜(港)から航海の旅に出た。アナーキストの大杉(注:ラッセルの記憶違いか,あるいは誤植か,原文では Ozuki となっている)とミス伊藤(伊藤野枝)が見送りに来てくれた。
 エンプレス・オブ・エージア号(Empress of Asia)に乗船すると,私たちは,社交的な雰囲気が急変したのを感じた。ドーラの状態(お腹の膨らみ)は,一般の人の眼には,まだそれとわかるほどにはなっていなかった。しかし,船医の職業的な眼がドーラの上に注がれているのを目撃するとともに,彼が自分の観察(結果)を乗船客たちに話したことがわかった。その結果,ほとんど誰一人,私たちに話しかけようとするものはいなかったけれども,私たちの写真は皆撮りたがった。唯一進んで話しかけてくれたのは,ヴァイオリニストの ミッシャ・エルマン(Mikhail Saulovich 'Mischa' Elman, ミハイル・サウロヴィチ・"ミッシャ"・エルマン, 1891-1967.4.5: ウクライナ出身のヴァイオリニスト) とその一行(楽団)だけだった。船内のほかの誰もがエルマンに話しかけたがっていたので,彼がいつも私たちと一緒にいることで,皆かなりいらいらしていた。平穏無事な船旅の後,私たちは(1921年)8月の終わりにリヴァプール(港)に到着した(注:Empress of Asia は東洋とカナダ間を航行していたということから,カナダで船を乗り換えているかもしれない。)。はげしく雨が降っていたが,(英国人のユーモア心から)'水不足'だと皆ブツブツ言っているのを聞き,私たちは母国(注:ユーモアの国)に戻ったのだという実感がわいた。ドーラの母親は波止場に来ていた。それは一つには私たちを歓迎するためであり,一つにはドーラに'賢明なアドバイス'を与えるためであったが,母親は内気であったため,賢明なアドバイスはできなかった。
 (1921年)9月27日,私たちは結婚した。国王代訴人(注:離婚裁判所において不正がある際に法廷に異議を申し立てる者)に離婚手続きを早めさせることに成功したが,そのためには,チャリング・クロス駅のプラットホームで,ドーラは私が公然と姦通した女性であると,全能の神の御名にかけて宣誓する必要があった。11月16日に長男ジョンが生まれ,その瞬間から長年の間,子供たちが私の人生の主要関心事となった。

★書簡集索引(この後15通の手紙が収録されている。手紙は適宜訳すことにして,次章に進むことにしたい。)

v.2,chap.3: China

We sailed from Yokohama by the Canadian Pacific, and were seen off by the anarchist, Ozuki, and Miss Ito. On the Empress of Asia we experienced a sudden change in the social atmosphere. Dora's condition was not yet visible to ordinary eyes, but we saw the ship's doctor cast a professional eye upon her, and we learned that he had communicated his observations to the passengers. Consequently, almost nobody would speak to us, though everybody was anxious to photograph us. The only people willing to speak to us were Mischa Elman, the violinist, and his party. As everybody else on the ship wished to speak to him, they were considerably annoyed by the fact that he was always in our company. After an uneventful journey, we arrived in Liverpool at the end of August. It was raining hard, and everybody complained of the drought, so we felt we had reached home. Dora's mother was on the dock, partly to welcome us, but partly to give Dora wise advice, which she was almost too shy to do. On September 27th we were married, having succeeded in hurrying up the King's Proctor, though this required that I should swear by Almighty God on Charing Cross platform that Dora was the woman with whom I had committed the official adultery. On November 16th, my son John was born, and from that moment my children were for many years my main interest in life.
(掲載日:2009.03.23 /更新日:2011.9.29)