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バートランド・ラッセル 自伝 第2巻第2章
労働党訪ソ代表団(松下彰良 訳)

The Autobiography of Bertrand Russell, v.2

前ページ 次ページ v.2,chap.2 (Russia) 目次 Contents (総目次)
* 右上写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981.
* 英国労働党の歴史

第2巻第2章 ロシア


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 マジョルカ(マヨルカ)から戻るとすぐに,(私のロシア行きの)好機が到来した。労働党代表団(右欄上の写真)が,ロシアを訪問しようとしており,私の同行を望んでいた(注:英国労働党は,1916年に,ロイド・ジョージによる挙国一致内閣において政権参加/1924年,労働党と自由党とが連立し,ラムゼイ・マクドナルド政権誕生/1929年,総選挙で第一党となり,自由党と連立で,第二次マクドナルド政権成立)。政府は,私の申請を検討し,H. A. L. フィッシャー(Herbert Albert Laurens Fisher, OM, 1865-1940:歴史家,政治家)に面談させた後,私のロシア行きを決定した。ソ連政府の説得は(英国政府の説得よりも)ずっと困難であり,私がすでに訪ソの途上でストックホルムに来ている時も,リトヴィノフ(Litvinov, 1876-1951:ロシアの政治家,外務大臣)は,ブリクストン刑務所で一緒に投獄されていた仲間であるにもかかわらず,なおも入国許可を拒んでいた。けれども,そのソ連政府の反対もついに克服された。我々一行は,非常に変わった顔触れであった。即ち,ミセス・スノードン,クリフォード・アレン,ロバート・ウィリアムズ,トム・ショー,それからベン・ターナーという極度に肥った老労働組合員(trade uniosist) −−彼は妻なしでは自分の身の回りのことは何もできない人間であり,いつもクリフォード・アレンに長靴を脱がしてもらっていた−−,随行医師としてハーデン・ゲスト,および数人の労働組合員。ペトログラード(注:現在のサンクトペテルブルク。かつてのロシア帝国の首都。第一次世界大戦でロシアがドイツと戦争状態に入ってから,ロシア語風にペトログラードと改められ,さらにソビエト連邦時代の1924年からはレーニンにちなんでレニングラードに改称された。) では,ロシア政府は我々一行に旧ロシア皇帝所有の自動車を自由に使わせてくれたが,ミセス・スノードンはよくその車の豪華さを楽しみながら乗りまわし,「気の毒なツァー(旧ロシア皇帝)」を憐れんでいた。ハーデン・ゲストは,激しい気性をもち,性欲(性的衝動)がかなり強い神智学者であった(注:神智学とは)。彼と,ミセス・スノードンは全くの反ボルシェヴィキ(反ソ連共産党)であった。ロバート・ウィリアムズは,ロシアで非常に幸福であるように見え,われわれの一行のうちで,ソ連政府に満足を与える演説をした唯一の人間であった。彼はいつもソ連政府の人たちに,英国における革命が差し迫っていると語って(彼らを喜ばせ),その結果,彼らは彼をもてはやした。私はレーニンに,ウィリアムズは信用できない人間だと伝えた。まさにその翌年(1921年)のブラック・フライデー(注:キリストが処刑された縁起の悪い11月第4木曜日の感謝祭の翌日の金曜日のこと)に,彼は(みんなを裏切って)労働党を脱党した。それから,一行の中に,チャーリー・バクストンがいた。彼は平和主義者であり,結果として,クェーカー教徒(十七世紀の中ごろ英国に起こったキリスト教の一派)になった。私と彼が船室を共有していた時のこと,私が何か文章を読んでいると,自分は黙祷するので本を読むのを止めてほしいと私に頼んだ(注:声を出さずに'黙読'しても,'黙祷’に影響するという理屈であると想像される。)。驚いたことに,彼の平和主義は,(武力革命を起こした)ボルシェヴィキを悪く思わないような平和主義であった。
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Soon after returning from Majorca, my opportunity came. A Labour deputation was going to Russia, and was willing that I should accompany it. The Government considered my application, and after causing me to be interviewed by H. A. L. Fisher, they decided to let me go. The Soviet Government was more difficult to persuade, and when I was already in Stockholm on the way, Litvinov was still refusing permission, in spite of our having been fellow prisoners in Brixton. However, the objections of the Soviet Government were at last overcome. We were a curious party, Mrs Snowden, Clifford Allen, Robert Williams, Tom Shaw, an enormously fat old Trade Unionist named Ben Turner, who was very helpless without his wife and used to get Clifford Allen to take his boots off for him, Haden Guest as medical attendant, and several Trade Union officials. In Petrograd, where they put the imperial motor-car at our disposal, Mrs Snowden used to drive about enjoying its luxury and expressing pity for the 'poor Czar'. Haden Guest was a theosophist with a fiery temper and a considerable libido. He and Mrs Snowden were very anti-Bolshevik. Robert Williams, I found, was very happy in Russia, and was the only one of our party who made speeches pleasing to the Soviet Government. He always told them that revolution was imminent in England, and they made much of him. I told Lenin that he was not to be trusted, and the very next year, on Black Friday, he ratted. Then there was Charlie Buxton. whose pacifism had led him to become a Quaker. When I shared a cabin with him, he would beg me to stop in the middle of a sentence in order that he might practice silent prayer. To my surprise, his pacifism did not lead him to think ill of the Bolsheviks.
(掲載日:2006.12.24 更新日:2011.8.19)