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バートランド・ラッセル 自伝 第2巻第1章 - T.S.エリオットを財政的支援(松下彰良 訳) - The Autobiography of Bertrand Russell, v.2

前ページ 次ページ  v.2,chap.1 (The First War) 目次  Contents (総目次)
* 左上写真(T. S. Eliot):From R. Clark's B. Russell and His World, 1981.
* 右下写真(Vivien Eliot):From Ray Monk's B. Russell, the spirit of solitude, 1997.

(第一章 第一次世界大戦)


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 1914年10月のある日,(ロンドンの)ニュー・オクスフォード・ストリート(ストリート・ビューで見る!)で,T.S.エリオット(T.S. Eliot, 1888-1965)と出会った。彼がヨーロッパに行っていたことを私は知らなかったが,彼はベルリンから英国にやってきたことがわかった。当然のことながら私は,第一次大戦についてどう考るか尋ねた。彼は,「わかりません。唯一わかるのは,私が平和主義者ではないということです。」と答えた。ということはつまり,彼は,殺人を正当化する何らかの十分な'言い訳'はないかと思案していたのである。(それはそれとして)私は彼ととても親しくなるとともに,続いて --彼が1915年の初めに結婚した-- 彼の妻(注:Vivien Eliot, ?-1947/右写真)と非常に親しくなった。彼らは極度に貧乏だったため,私は,(ロンドンの)自分のフラットにある2つの寝室のうちの1つを彼らに貸した。その結果,彼らのことについていろんなことがわかった(著者注:私がエリオットに,あるいはエリオットが私に影響を与えたという示唆が時々なされたけれども,それは根拠のないものである。)私は,彼ら夫婦の二人とも好きであった。それで私は,彼らが困っている時は --彼らがそれらの諸困難をむしろ享受しているということを発見するまでは-- 努めて助けてあげようとした。私は,ある工務店(注:engineering firm: 今の竹中工務店のような建設業?)の,額面価格で3,000ポンド程度の社債を所有していた。その会社は,当然,第一次大戦中,軍需用品を製作するようになった。私は,良心に咎められ,これらの社債をどうしたらよいか,非常に困惑し,そして最終的には,それを全てエリオットにあげた。何年かたってから,第一次大戦が終結して,彼がもはや貧乏ではなくなった時,彼はそれを私に返した。
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One day in October 1914 I met T. S. Eliot in New Oxford Street. I did not know he was in Europe, but I found he had come to England from Berlin. I naturally asked him what he thought of the War. 'I don't know.' he replied, 'I only know that I am not a pacifist.' That is to say, he considered any excuse good enough for homicide. I became great friends with him, and subsequently with his wife, whom he married early in 1915. As they were desperately poor, I lent them one of the two bedrooms in my flat, with the result that I saw a great deal of them.(The suggestion sometimes made, however, that one of us influenced the other is without foundation.) I was fond of them both, and endeavoured to help them in their troubles until I discovered that their troubles were what they enjoyed. I held some debentures nominally worth £3,000, in an engineering firm, which during the War naturally took to making munitions. I was much puzzled in my conscience as to what to do with these debentures, and at last I gave them to Eliot. Years afterwards, when the War was finished and he was no longer poor, he gave them back to me.
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(掲載日:2006.04.05/更新日:2011.6.23)