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バートランド・ラッセル自伝 第1巻第3章 - G. E. ムーアとの出会い(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第3章(ケンブリッジ大学時代)累積版 総目次


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 けれども,私は学部3年生の時,G.E.ムーア(1873-1958)と出会った。彼はその時新入生であり,数年間,私の天才の理想(天才とはこういうものであってほしいという理想)を満たしてくれた。 その当時彼は,美青年で,痩せており,霊感に満ちた風貌をしており,スピノザと同様,深い情熱的な知性を身につけていた。(右欄写真出典:R. Clark's Bertrand Russell and His World, c1981) 彼はある種のこのうえない純粋さをもっていた。(彼は嘘をつけない人間であった。)私はたった一度だけ彼に嘘をつかせることに成功したが,しかしそれは'ひっかけ'によってであった。
 私は言った。「ムーア!  君は常に本当のことを言いますか?」 彼は「ノー」と答えた。これは彼がその時までに言った唯一の嘘だと思う。(少しわかりにくいかもしれない。彼=ムーアは「常に」本当のことを言ってきた=嘘を言わなかったが,「いいえ(=本当のことを言わなかったことがある)」と言ったこの時初めて=生涯に一度だけ,嘘をついたと,ラッセルは言っている。/即ち,ムーアの答え(いいえ)が嘘ではない=正しいとすると,ムーアは生涯嘘をつかなかったが,この時初めて嘘をついたと解釈することも可能である。一方ムーアのこの答え(いいえ)が嘘だとすると,「「(いいえ=)常に本当のことを言うわけではない」のではない」(二重否定) → (つまり)常に本当のことを言う(言って来た),ただし,この時初めて嘘を言ったと解釈できる。つまり,いずれにしても,「生涯嘘をつかなかったが,この時初めて嘘をついた」という解釈は同じ。)
 彼の家族は(ロンドン郊外の)ダルウィッチに住んでいたが,私は,かつて一度だけ,彼らに会いにそこに行ったことがある。彼の父は元医者であったが引退しており,彼の母はローマのコロセウムの絵が描かれている大きな陶器製のブローチを身に着けていた。彼には,姉妹や兄弟が多数いた。彼ら兄弟姉妹のなかで私が最も興味深かったのは,詩人のスタージ・ムーア(Moore, Sturge, 1870-1944/G. E. Moore の兄/右:顎髭のある写真)であった。知性の世界においては,ムーア(訳注:スタージ・ムーアのことではなく,G.E. ムーアのこと)は,恐れを知らず,冒険的であったが,日常生活においては,彼(G.E. Moore)は全くの子供であった。4年生の時,私は彼と一緒に数日間,ノーフォークの海岸を散歩して過ごした。私たちは,偶然あるがっちりした体格の男と出会ったが,その男はペトロニウス(紀元1世紀のローマの作家)の猥褻さについて,とても楽しそうに語り出した。私は幾分その男をけしかけて喋らせたが,彼は変わり者なので,楽しかった('as a type' のところの良い訳し方があれば教えてください。)。その男が行ってしまうまで,彼は完全に沈黙を守っていた。その男が去ったあとで彼は私の方を向きこう言った。「あの男は恐ろしいやつだ」。彼はその生涯を通して,下品な話や会話からほんの少しも楽しみを感じなかった,と私は思う。私同様ムーアも,マクタガートの影響を受け,短期間であるがヘーゲリアンであった。しかし彼は,私よりも早く,ヘーゲルの影響から抜けだした。私がカントとヘーゲルの両方を捨てるにいたったのも,主として彼の話を聞いてからであった。彼は私よりも2歳も若かったのであるが,私の哲学的見解に大きな影響を与えた。(松下注:ラッセルは1872年5月18日生まれ,ムーアは1873年11月4日生まれであるので,正確にいうと1年半の差)
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In my third year, however, I met G. E. Moore, who was then a freshman, and for some years he fulfilled my ideal of genius. He was in those days beautiful and slim, with a look almost of inspiration, and with an intellect as deeply passionate as Spinoza's. He had a kind of exquisite purity. I have never but once succeeded in making him tell a lie, that was by a subterfuge. 'Moore,' I said, 'do you always speak the truth?' No', he replied. I believe this to be the only lie he had ever told.
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His people lived in Dulwich, where I once went to see them. His father was a retired medical man, his mother wore a large china brooch with a picture of the Colosseum on it. He had sisters and brothers in large numbers, of whom the most interesting was the poet, Sturge Moore. In the world of intellect, he was fearless and adventurous, but in the everyday world he was a child. During my fourth year I spent some days walking with him on the coast of Norfolk. We fell in by accident with a husky fellow, who began talking about Petronius with intense relish for his indecencies. I rather encouraged the man, who amused me as a type. Moore remained completely silent until the man was gone, and then turned upon me, saying: 'That man was horrible.' I do not believe that he has ever in all his life derived the faintest pleasure from improper stories or conversation. Moore, like me, was influenced by McTaggart, and was for a short time a Hegelian. But he emerged more quickly than I did, and it was largely his conversation that led me to abandon both Kant and Hegel. In spite of his being two years younger than me, he greatly influenced my philosophical outlook.