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バートランド・ラッセル自伝 第1巻第1章 - 母方の祖母による午餐会(松下彰良・訳) - The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

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 彼女(母方の祖母 Lady Stanley of Alderley)には息子や娘が大勢いて,大変な大家族であった。彼らのほとんどが毎週日曜日に,彼女と昼食を一緒にとるため,彼女の家に集まって来た。彼女の長男はイスラム教徒で,ほとんど耳が聞こえなかった。次男リュルフ(Edward Lyulph Stanley, 1839-1925)といって自由思想家であり,ロンドン学務委員会(あるいは学校委員会)のことで教会との闘争に生涯を費やした(松下注:リュルフは,ロンドン学校委員会の委員の一人だった。)三男アルジャーノンは,ローマ・カトリックの聖職者であり,ローマ教皇の名誉随員とエマオ司教をつとめていた (日高一輝・訳では,エムモースとなっているが,日本語では'エマオ'と表記するらしい(英語の発音はちがうが)。エマオは,新約聖書「ルカによる福音書」第24の「エマオの巡礼(Pilgrims of Emmaus)」に由来している。もともとはエルサレムの近郊の町をいったが,現在では,フランス,イスラエル,その他,世界中にあるらしい(バーチャルなものもあり?)。ここでは,イギリスのどこかにあるエマオをいってるのだろうか。)
*学務委員会(School Board)とは,1870年の英国初等教育法の制定により一般大衆のための初等教育が整備されて,各都市に設置された地方教育行政機関とのことである。(→情報源:『日英教育学会ニュースレター』n.12より)
 リュルフは機知に富み博学で,辛らつな皮肉屋であった。アルジャーノンは機知に富み,肥っていて,大食漢であった。(注:右イラスト出典= B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953)。イスラム教徒のヘンリー(長男)は,祖母の家族が持っている長所のすべてを欠いており,私がいままで知ったなかで,最も退屈な(タイプの)人であった。耳が聞こえないのにもかかわらず,彼は自分に対し話しかけられたことは何でもすべてしつこく聞こうとした。
 日曜の午餐会(昼食会)では,いつも激しい議論が展開された。というのは,息子たちによって代表される諸宗教に加えて,娘や婿たちの間には,英国国教会派,ユニテリアン派,それに(実証論を基礎にした)人道主義的宗教(日高氏は,「実証主義」と訳されているが,ここでは宗教の話をしていることに注意)の代表者がいたからである。議論が沸騰して頂点に達すると,(耳がほとんど聞こえない)ヘンリーが騒がしい叫び声に気づき,何を言っているのかと尋ねる。(すると)彼のすぐ隣りに座っている者が偏向した議論の説明を大声で話す。これに対し,他の全員がそろって,
「違う,違う,ヘンリー,そうじゃないよ!」
と叫ぶのであった。ここまでくると'騒音'はまったくひどいものになった。日曜の午餐会でのリュルフおじさんのお気に入りの(いたずらっぽい)'策略'は,
「アダムとイブの物語を,文字通り真実だと信じている人が誰かここにいますか?」
と尋ねることであった。こうした質問を発する目的は,イスラム教徒とキリスト教聖職者を無理矢理同意させることにあったが,そうすることをどちらも極度に嫌っていた。
 私はこのような午餐会に恐怖と震えを抱きながら,よくでかけた。なぜなら,彼らの関心の向きが変わり,すべてが束になって私に降りかかってくるようなことはないとは,決してわからなかったからである(日高氏は,「・・・。この一団のものが,挙って私にくってかかるだろうとうことだけが頭にあったからである。」と訳されている。'but what' の意味を誤解されたのだろうか。)。私が彼らの間であてにできる友が1人だけいたが,彼女はスタンレイ家の生まれではなかった。彼女はリュルフ叔父さんの妻で,ヒュー・ベル卿(Sir Thomas Hugh Bell, 2nd Baronet, 1844-1931)の妹であった。祖母は,自分が「取り引き」(政略結婚?)と呼んだ結婚をリュルフがしたことに反対をしなかったので,自分を大変度量が大きいといつも考えていたが,ヒュー卿は大富豪であったので,私はそれほど感銘を受けなかった。
She had an enormous family of sons and daughters, most of whom came to lunch with her every Sunday. Her eldest son was a Mohammedan, and almost stone deaf. Her second son, Lyulph, was a free-thinker, and spent his time fighting the Church on the London School Board. Her third son, Algernon, was a Roman Catholic priest, a Papal Chamberlain and Bishop of Emmaus.
Lyulph was witty, encyclopaedic, and caustic. Algernon was witty, fat, and greedy. Henry, the Mohammedan, was devoid of all the family merits, and was, I think, the greatest bore I have ever known. In spite of his deafness, he insisted upon hearing everything said to him. At the Sunday luncheons there would be vehement arguments, for among the daughters and sons-in-law there were representatives of the Church of England, Unitarianism, and Positivism, to be added to the religions represented by the sons. When the argument reached a certain pitch of ferocity, Henry would become aware that there was a noise, and would ask what it was about. His nearest neighbour would shout a biased version of the argument into his ear, whereupon all the others would shout
'No, no, Henry, it isn't that !'
At this point the din became turuly terrific. A favourite trick of my Uncle Lyulph at Sunday luncheons was to ask:
'Who is there here who believes in the literal truth of the story of Adam and Eve ?'
His object in asking the question was to compel the Mohammedan and the priest to agree with each other, which they hated doing. I used to go to these luncheons in fear and trembling, since I never knew but what the whole pack would turn upon me. I had only one friend whom I could count on among them, and she was not a Stanley by birth. She was my Uncle Lyulph's wife, sister of Sir Hugh Bell. My grandmother always considered herself very broad-minded because she had not objected to Lyulph marrying into what she called 'trade', but as Sir Hugh was a multi-millionaire I was not very much impressed.
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