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バートランド・ラッセル自伝 - 祖母と一緒に読書 松下彰良 訳 - The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第1章(幼少時代)累積版 総目次

 祖母は熱烈な小英国主義者*注であり,植民地戦争を強く非難した。(そうして)祖母は私に,ズールー戦争は非常に邪悪なものであり,大部分,ケープ(南アフリカ植民地)の総督バートル・フレーレ卿(1815-1884)の過ち(責任)であると言った。にもかかわらず,バートル・フレーレ卿がウィンブルドンに移り住んで来た時,祖母は私をつれて彼に会いにいったが,その時私は,祖母が彼を人非人(悪人)として扱っていないのを目撃した。これはとても理解することが困難だと思った。
*松下注:19世紀前半の英国における自由主義時代の植民地政策をいう。反対は,「大英国主義」/日高氏は,「祖母は激しい英国の帝国主義政策反対者であった。」と訳されているが,少しニュアンスが違っている。

 祖母は,大きな声でよく本を読んでくれたが,それは主としてマライア・エッジワース(1768-1849)の物語であった。その本の中に「偽造の?鍵(The false key)」という一話が収録されていた。祖母はその話はあまり良い話ではないといって,私に読んで聞かせようとしなかった。(しかし)私はその本を書棚から祖母のところへもって来る間に,一度に一文ずつ,(結局)その話の全文を読んだ。
 いろんなことを私に知らせまいとする祖母の試みはめったに成功しなかった。その後少したって,チャールス・ディルク卿(1843-1911)のとてもスキャンダラスな離婚問題の渦中,祖母は私に知らせないように毎日新聞を焼くという予防対策をとったが,しかし私は,リッチモンド・パークの門まで*注,祖母のために新聞をとりにゆく習慣があったので,新聞を祖母に渡すまでの間に,この離婚問題の記事を一語も残らず読んでしまった。私は一度彼と一緒に教会に行ったことがあるため,それだけこの離婚問題は私の興味をよりいっそう引くこととなり,彼が(教会で)モーゼの十戒の7番目(松下注:汝姦淫することなかれ)を聞くときどんな感情を抱いただろうかと思案し続けた。
*松下注:日高一輝(氏)は,「私は,祖母のためにハイドパークの入り口まで新聞をとりにいくのがならわしであった。」と訳されているが,ラッセルが住んでいた Pembroke Lodge は ロンドン郊外にある Richmond Park の端にあり,ロンドン市内のハイドパークまで幼いラッセルが新聞をとりにいくなどということは,ありえない。
 私がすらすらと読むことをおぼえてからは,(こんどは)私が祖母のためによく本を読んであげたが,そうやって私は,標準的な幅広い英文学の知識を学んだ。私は祖母と一緒に,シェークスピア,ミルトン,ドライデンの諸著作,クーパーの「課題」(松下注:「『課題』という表題は,著者がオースティン令夫人から無韻詩の試みを勧められ,主題にソファを示されたことに由来する」とのことである → 情報源「イギリス・ロマン派学会創立25周年記念展示会「ロマン派の歴史と伝統 ―初版本と貴重書を中心に―)」,トムソンの「'怠惰'の城」(松下注:同上サイトより→「魔法使いの「怠惰」('Indolence')によって美しい城に誘いこまれた旅人たちは倦怠を覚え,穴倉の中で無為に過ごす。魔法使いは征服され,城は勤勉な武士によって破壊される。スペンサー連(?)で書かれ,ワーヅワスがその韻律と詩的用語を賞賛した。」),ジェーン・オースチンの著作,その他たくさんの本を読んだ。

She was a fierce Little Englander, and disapproved strongly of Colonial wars. She told me that the Zulu War was very wicked, and that it was largely the fault of Sir Bartle Frere, the Governor of the Cape. Nevertheless, when Sir Bartle Frere came to live at Wimbledon, she took me to see him, and I observed that she did not treat him as a monster. I found this very difficult to understand.

My grandmother used to read aloud to me, chiefly the stories of Maria Edgeworth. There was one story in the book, called The False Key, which she said was not a very nice story, and she would therefore not read it to me. I read the whole story, a sentence at a time, in the course of bringing the book from the shelf to my grandmother.

Her attempts to prevent me from knowing things were seldom successful. At a somewhat later date, during Sir Charles Dilke's very scandalous divorce case, she took the precaution of burning the newspapers every day, but I used to go to the Park gates to fetch them for her, and read every word of the divorce case before the papers reached her. The case interested me the more because I had once been to church with him, and I kept wondering what his feelings had been when he heard the Seventh Commandment.
After I had learnt to read fluently I used to read to her, and I acquired in this way an extensive knowledge of standard English literature. I read with her Shakespeare, Milton, Dryden, Cowper's Task, Thomson's Castle of Indolence, Jane Austen, and hosts of other books.

(位置関係)円内が Richimond Park. 右下(東南)に Wimbledon があり,右上(北東)に London がある。
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