Ⅱ (続き) このような事態全体は,多かれ少なかれ,近代に入ってからのものである。それは,クロムウェル時代の短いピューリタンによる統治(注:三日天下)の英国に存在し、ピューリタン(注:いわゆるピルグリム・ファーザーズ)> (の子孫)によってアメリカ(北米)に移植された。それが再び勢力をもって行われるようになったのは,それがジャコバン主義(つまり,今ならばボルシェヴイズム(ロシア共産主義)とでも呼ぶべきもの)と戦う良い方法であると考えられたフランス市民革命の後のことであった。ワーズワース(William Wordsworth, 1770-1850。英国を代表的するロマン派詩人)の生涯はこの変化をよく例証している。彼は,若い頃,フランス市民革命に共感し,フランスに行き,すぐれた詩を書き,女(娘)の私生児をもうけた。この時期のワーズワ-スは(世間から見れば)「悪い」人間であった。 その後,彼は「善い」人(善人)となり,(私生児の)娘を棄て,正しい原理原則を採用し,質の悪い詩を書いた。コウルリッジ(Samuel Taylor Coleridge, 1772- 1834。英国を代表的するロマン派詩人)も同様の変化を経験した。彼は「善良でなかった」時期に『クーブラ・カーン』(注:クビライ・ハンのこと)を書き,「善良な時」に神学的著作(注:詩ではなく散文)を執筆した。 良い詩を書いている時に「善い」人間であった詩人の実例を思いつくことは困難である(注:つまり,詩人というのは,世間的に善良でない時に良い詩を書く)。ダンテ(Dante Alighieri、1265-1321。叙事詩『神曲』で有名なイタリア文学最大の詩人)は,破壊的な宣伝のかどで追放された(注:フィレンツを追放された。イタリアは当時小国に分かれていたので、いわば「国外」追放)。シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)も,例の十四行詩から判断すれば,アメリカの入国審査官(移民審査官)からニューヨークの土を踏むことを許されなかったであろう(注:道徳的に「善い」詩ではないため)。時の政府を支持することは,「善い」人(として見られる条件)としては欠くことのできないものである。従って,ミルトン(John Milton, 1608-1674。『失楽園』で有名。クロムウェルを支持)はクロムウェルの治世下では「善い」人であったが,その前後は「悪い」人であった。しかし,彼が詩を書いたのはクロムエルの時代の前後であった。実際,彼の詩の大部分は,彼が一人のボルシェヴィキ(共産主義者)として絞首刑になるのを辛うじて免れた後に書かれたものである。ダン(John Donne, 1572-1631。英国の詩人)も,セント・ポール大寺院の主席司祭になってから後は有徳であった。しかし,彼の詩は全てその頃より前に書かれたものであり,それらの詩のために,ダンの主席司祭任命はスキャンダルを引き起こした。スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne, 1837-1909。英国ビクトリア朝時代の詩人)も若い時は邪悪であり、その頃,自由のために戦う人々を讃える詩『日の出前の歌』を書いた。彼は老年の時は有徳であり、その時は,(南アフリカの)ボーア人が(英国による)無慈悲な侵略に抵抗して自分たちの自由を守ろうとしたために,(英国人である)スウィンバーンはボーア人を野蛮に攻撃する詩を書いた。このような実例をこれ以上重ねてあげる必要はない。現在行われている美徳の基準が,優れた(良い)詩の創作と両立しないことを示すのには,これだけ例をあげれば充分である。 |
II (continued)
It is difficult to think of any instance of a poet who was 'good' at the times when he was writing good poetry. Dante was deported for subversive propaganda; Shakespeare, to judge by the Sonnets, would not have been allowed by American immigration officers to land in New York. It is of the essence of a 'good' man that he supports the Government; therefore, Milton was good during the reign of Cromwell, and bad before and after; but it was before and after that he wrote his poetry - in fact most of it was written after he had narrowly escaped hanging as a Bolshevik. Donne was virtuous after he became Dean of St Paul's, but all his poems were written before that time, and on account of them his appointment caused a scandal. Swinburne was wicked in his youth, when he wrote Songs Before Sunrise in praise of those who fought for freedom; he was virtuous in his old age, when he wrote savage attacks on the Boers for defending their liberty against wanton aggression. It is needless to multiply examples; enough has been said to suggest that the standards of virtue now prevalent are incompatible with the production of good poetry. |