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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 16-24 - My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

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第16章 「非論証的推論語」n.24 - デカルト的懐疑の方法は妥当ではない


ラッセル英単語・熟語1500
 デカルト的懐疑の方法は - 若い時には魅力的に思われ、現在でも論理的解剖の仕事における道具として役に立つかも知れないが- 私にとって、もはや根本的な妥当性を持っている方法とは思われない。普遍的懐疑論(Universal scepticism)は、論破できないが、受け入れることもまたできない(ものである)。私は、感覚の事実(感覚を通して得られる事実)及び科学の広範な真理を、所与のデータとして哲学者が採用すべきものとして、受けいれるようになった(なっている)。なぜなら、これらのものが真であることは、絶対確実だとは言えないけれども、それらは、哲学的思弁によって達せられそうないかなるものよりも(真である)高い確率を持っているからである。

Chapter 16: Non-Demonstrative Inference , n.24

The method of Cartesian doubt, which appealed to me when I was young and may still serve as a tool in the work of logical dissection, no longer seems to me to have fundamental validity. Universal scepticism cannot be refuted, but also cannot be accepted. I have come to accept the facts of sense and the broad truth of science as things which the philosopher should take as data, since, though their truth is not quite certain, it has a higher degree of probability than anything likely to be achieved in philosophical speculation.
(掲載日:2022.05.02/更新日: )