バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 私のために見付けてくれた看護婦は,専門職としてかなり抜きん出ており,第一次世界大戦中はセルビアの病院で看護婦長を務めていた。その病院は全てドイツ人に占領され,看護婦たちはブルガリアに移された。彼女は,ブルガリア王妃とどんなに親しい間柄になったかということを,まったく疲れをみせずに,私に語った。彼女は深い宗教心を持った女性であった。そうして,彼女は,私が快方に向かった時,私を死なせることが彼女の責務ではないのかどうか真剣に考えた,と私に話してくれた。彼女の職業的訓練が,彼女の道徳感よりもずっと強力であったことは,私にとって幸運だった。
The nurse whom they had found was rather distinguished in her profession, and had been the Sister in charge of a hospital in Serbia during the War. The whole hospital had been captured by the Germans, and the nurses removed to Bulgaria. She was never tired of telling me how intimate she had become with the Queen of Bulgaria. She was a deeply religious woman, and told me when I began to get better that she had seriously considered whether it was not her duty to let me die. Fortunately, professional training was too strong for her moral sense.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB23-090.HTM

 <寸言>
キリスト教徒としては,反キリスト教徒で無神論者のラッセルを助けずに死なせるべきだが,専門職としての看護婦としてはラッセルを助けるべきであったので,どちらを優先すべきか迷ったといいう半分冗談?で半分本気の話。

 革命直後のロシア訪問から帰国してしばらくすると、中国の北京大学から客員教授になってほしいとの招待状がラッセル宛に届いた。ロシアの現状をありのままに書いた著作によって非難を浴びていたところであったので、ラッセルは快諾し、恋人のドーラとともに約1年間、中国に行くことになる。
 上記の文章は、1921年3月初旬にインフルエンザにかかり、死線をさまよった時の思い出を書いたものである。