競争は最高の徳であるという信仰(思い込み)のため,少年少女も青年も,酷すぎる緊張を伴うようなものに従事させられるべきではないということに,誰も思いいたらなかった。たとえ緊張はただ知的なものだけでさえも,十分悪いが,(実際は)さらに感情的な緊張も加わるのである。即ち,少年でも少女でもその子の全将来は -経済的な将来だけでなく社会的な将来も- 長い間の準備のあとのほんの短時間の試験で左右されてしまう(という感情的な緊張がある)のである。
Belief in the sovereign virtues of competition prevented anyone from reflecting that boys and girls and adolescents ought not to be subjected to the very severe strain involved. If the strain were only intellectual it would be bad enough, but it is also emotional: the whole future of a boy or girl, not only economically, but socially, turns upon success in a brief test after long preparation.
出典:Education and the Social Order, 1932, chap.12: Competetion in Education
詳細情報:http://russell-j.com/cool/30T-1201.HTM
<寸言>
競争には良い面と悪い面がある。現代日本においては,良い面ばかりが強調されるきらいがある。支配・管理監督する立場にあっては,国民や部下が,大きな不都合を産まない限り、競争にあけくれてくれたほうが好都合である。だが,それは不幸の大きな要因となる。新しいものを創造しようという競争ならよいが,限られたもの(ポスト,エネルギー資源,その他の精神的なもの以外のもの)の競争は,益よりも大きな不幸を世界に生み出してしまう。