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バートランド・ラッセル 自伝 第1巻第5章
自由主義的帝国主義者(松下彰良 訳)

The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第5章(初婚)累積版 総目次


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 1899年の秋,ボーア戦争が勃発した(Bore War, 1899-1902:ブール戦争とも言う/アフリカ大陸南部にあったトランスヴァール共和国とオレンジ自由国に対するイギリスの侵略戦争。後にイギリス首相となるウィンストン・チャーチル(1874-1965)も捕虜となったが脱走したとのこと。英国はボーア人の住む両国を占領して植民地とし,1910年に,'南アフリカ連邦'を建国/右写真:ボーア戦争記念切手)。当時私は,自由主義的帝国主義者(a Liberal Imperialist)であり,当初はまったくボーア人(ブール人)に味方しなかった(注:Liberal Imperialism:19世紀イギリスの'自由主義的帝国主義'。市場を開かない国は,力によって開国させ,自由と文明を世界に広める。ブッシュ大統領とブレア首相は,現代における新自由主義的帝国主義者と揶揄されていた。)。英国の敗戦が大変心配であり,そのために,戦争のニュース以外は何も考えることができなかった。私たちは,ミルハンガーで碁らしていたので,大ていの午後,夕刊を手に入れるために,私はいつも4マイルの距離を駅まで歩いた。アリスは,アメリカ人であったので,この問題について,私と同じ感情を共有しておらず,私が夢中になっているのでかなりいらいらしていた。ボーア人が負けはじめると,私の関心はしだいに薄くなっていき,そうして1901年の初めには,私は,ボーア人の味方になっていた。
 1900年に,私の「ライブニッツの哲学A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz, 1900)に関する著書が出版された。その年の7月(ラッセル28歳),私はパリに行き,そこで,わが人生の新しい章が始まった。

 ★第1巻第5章・付録:「書 簡」(索引)
 *この章には,この後に,7本の手紙がつけられている。
In the autumn of 1899 the Boer War broke out. I was at that time a Liberal Imperialist, and at first by no means a pro-Boer. British defeats caused me much anxiety, and I could think of nothing else but the war news. We were living at The Millhanger, and I used most afternoons to walk the four miles to the station in order to get an evening paper. Alys, being American, did not have the same feelings in the matter, and was rather annoyed by my absorption in it. When the Boers began to be defeated, my interest grew less, and early in 1901 I became a pro-Boer.
In the year 1900, my book on the Philosophy of Leibniz was published. In July of that year I went to Paris, where a new chapter of my life began.

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(掲載日:2005.11.02 更新日:2011.4.14)