バートランド・ラッセルに関する徒然草_2010年02月
「ラッセル徒然草」では、(あくまでもラッセルに関したものという限定のもと)ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気が向くまま、日記風に綴っていきます。 m
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ラッセル徒然草_2010年02月
[n.0069:2010.02.20(土): 日本や日本人を褒める本、貶す本]
日本は島国で、江戸時代の鎖国の影響もあり,日本人は他の国民に比較して'同質性'が高いと言える。もちろん、日本人といってもアイヌなどの先住民族もいるし、北海道から沖縄まで南北に国土が長く,自然環境や社会環境も様々であるため、地域によって人々の'感性'や'考え方'は一様ではない。しかし、そういったことを理解したうえでなら、おおざっぱに、日本人一般を論じてもそれほど問題はないだろう。
日本人は「外国人が自分たちをどう見るか」を非常に気にする国民だ、とよく言われる。確かに、自分のことを理解するためには、「他人の目」(特に第三者の目)は大変参考になる。このことは個人レベルだけでなく、国家レベルでも言える。
私も、高校生の時以来これまで、日本や日本人について発言している外国人の著書を大量に読んできた。誰も他人に批判されるより、褒められるほうが気持ちがよいので、日本や日本人を'貶す本'よりも、'褒める本'の方をずっと多く読んできた。
日本(の自然環境、文化、食べ物、その他)や日本人の良さを強調する外国人として誰でも知っている人物としては、ずっと古いところでは、ラフカディオ・ハーンがいる。意外と知られていないのがアインシュタインである。アインシュタインは、大正時代(ラッセル来日の2年後の1923年)に来日し、大変良い印象を受け、日本人や日本文化を褒めたたえている。
最近では、日本や日本人が好きな外国人の一人に、ハンガリー人(でフランス国籍を持つ)ピーター・フランクルがいる。ピーターの場合もそうであるが、日本や日本人の良さをいろいろとりあげる外国人を見ると、事情は様々であるが、同国人の平均的なあるいは一般的な感性や考え方と異なっているがために、母国で苦労している場合が少なくない。
しかし、直前の「英国や英国人を褒める本、貶す本」に書いたように、日本人にとって本当に参考になるのは、日本や日本人のことを深く理解し愛するがゆえに、日本や日本人の良くない点について批判し、それらの欠点を克服するための具体的な提案をする外国人の著書や発言であろう。
日本をよく理解した上で厳しい指摘をする外国人としては、最近ではウォルフレン(オランダ人)が有名であるが、ウォルフレンの名著の誉れ高い『日本の権力構造の謎』は出版後20年(早川文庫版は出版後16年)もたっているので、もう古典といった方がよいかもしれない。
ラッセルの場合はどうであろうか。被爆後の日本に対するラッセルの目はそれほど厳しくないが、戦前の日本に対する評価には手厳しいものがあった。よく引用されるのは、ラッセルの『中国の問題』(The Problem of China, c1922/邦訳書:牧野力(訳),理想社,1970)の第6章「現代の日本」の記述である。
(牧野訳p.114)
明治維新以後の日本の変貌は驚愕すべきものであり、国民も当然それに驚嘆した。しかし、なお一層驚くべきことは、知識や人生観が測り知れない変化を受けても、宗教や倫理にはさほどの変化が見られない点、また、そのような変化から当然期待されるような変化とは裏はらの方向に日本が向かっていた点である。科学は人を合理主義に走らせやすいと想像するのに、日本における科学的知識の普及は、日本文化の中でも一番時代錯誤的な特色である天皇崇拝の一大強化策に合体されてきた。社会学、社会心理学、及び政治理論にとり、日本は特別に興味深い国である・・・。国民が神経質に興奮し易い性格には彼らの生活態度のどこかに緊張と作為とがあることを示唆するが、これは多分単なる一時的現象にすぎないかも知れない。・・・。
日本人でも、自分の生い立ちや自分をとりまく環境の厳しさなどから、日本のいやなところをたくさん経験し、特定の外国を賛美するようになる人もいる。あるいは、日本(自国)のことは好きであっても、特定の外国で運よく良い経験をし、そのためにその国のことを大変好きになる例も少なくない。そういう場合、個人的事情やその個人が属する時代環境や社会環境などが大きな影響を与えており、'客観的な評価'をしていない場合も多そうである。自国も含め、特定の国や国民について客観的評価をすることは難しく、どうしても過大評価あるいは過小評価しがちである。
まだ未知数ではあるが、今後活躍しそうな若いイタリア人(ラッセリアン)の、ステファノ・ロドラさん(26歳)をご紹介しておきたい。
(ロドラさんのホームページ URL:https://www.stefanolodola.com/ )
ロドラさんは、日本人の「集団主義」「横並び主義(横並び意識)」などに代表される(日本独自の)「システム」の弊害を指摘し、「日本人ももう少し人生を楽しみましょう」と、いろいろ具体的な提案をしている。日本や日本人を愛するがゆえに日本や日本人のまずいところ(特に人生を楽しまないところ)に着目し、少しでも日本が住みやすい国になってほしいと、ラテン系のイタリア人らしい意見をいろいろのべている。同感する指摘も多く、ロドラさんの言うことは頭では理解できても、集団主義になれた日本人(もちろん私も含む)には実行することがなかなか難しいものも少なくない。自然風土や長い歴史によって形成された国民性や考え方はそんなに簡単に変えられるものではない。
しかし、貧しい時代の日本、人口が急増した時代の日本、勤勉によって世界第二位の経済大国になった日本と現在の日本とはかなり事情が異なっている。GDPについては、今年中に中国によって日本を追い越され、日本は世界第2位の地位から第3位に転落すことが確実視されている。インドも30年もすれば日本を追い越すだろう。人口が日本より何倍もある国とGDPの総額で競争しても限界がある。一人当たりの生産性、社会の住み易さなどで競うのはよいが、経済的指標(の国家間の比較)で優劣を争い、一喜一憂する習慣はそろそろやめにしたほうがよいだろう。
ロドラさんは2月末原稿締切りのある懸賞論文を現在執筆中であり、私もほぼ完成間近の原稿を見せていただいているが、公表されたら、またご紹介したい。
[n.0068:2010.02.16(火): 英国や英国人を褒める本、貶す本]
バートランド・ラッセルを研究していることもあり、これまで英国や英国人に関する本をかなり読んできた。読んだ本は、英国や英国人の良いところを紹介する本の方が貶す(けなす)本よりもずっと多かった。しかし、最近1、2年は、英国や英国人を貶す本を好んで(?)読んでいる。ただし、'英国人'(イギリス人)といっても、ラッセルが生きていた時代と違って、現在では白人以外の移民が英国の人口のかなりの割合をしめるようになっているので、それらを含めた英国人一般のことを言っているのか、イングランド人を中心とした英国人のことを言っているのか、中流以上の生活をしている英国人のことを言っているのか、区別して考える必要がある。
'英国礼賛'で有名なエッセイストに林望(通称or自称「リンボウ先生)がいる。私も数冊読んだが、林氏は主として英国や英国人の良い面に焦点をあてて紹介している。英国や英国人に限らず、それぞれの国や国民の良いところを知ることは、日本人の参考になり、気持ちのよいものではあるが、やはり一面的な見方になりやすい。'批判のための批判'はいただけないが、その国や国民のことが好きだからこそ厳しい批判をせざるを得ない人の言葉は重いし、聞かせるものがある。
英国や英国人を愛してはいるが、いや愛しているからこそ厳しい批判をしているエッセイスト(ここでは学者はとりあげない)に、高尾慶子氏(英国人と結婚したが離婚。英国在住で、子供はいない)と緑ゆうこ氏(小説家。英国人と結婚し英国在住。子供はいない)がいる。'毒舌'ということでは高尾氏の方が上手であるが、'知性'という点では緑氏のほうが数段勝っている。また、緑氏のほうが文章力・表現力が勝っているだけでなく、'論理的'であり、より'洞察力'がある。
緑氏の英国に関する本は4冊ほどでているが、『英国人は理想がお好き』(紀伊国屋書店)と『英国人は「建前」がお好き』(紀伊国屋書店)は両方とも面白かった。前者はBOOK-OFFで105円で入手したもの、後者は地元の公共図書館で借りたもので、読む前はそれほど内容に期待していなかったが、読後感は大変よかった。両書ともお薦めしたい。
英国・英国人礼賛本と批判本をあわせて読むと、英国や英国人をより理解できるが、それらの本で描かれた英国人像から見ると、ラッセルは、もちろん英国人らしさはあるが、英国人の標準からずれている面がかなりあるように思われる。一般の英国人とどういった点で異なるかは、現在連載中の『ラッセル自叙伝』(松下訳)をお読みになっていただきたい。
対象を愛するがゆえの批判(書)の良さを再認識したこの頃である。