| |
アマゾンで購入 |
私は若い頃、休日はよく散歩をしていた。一日に二十五マイルを歩き、夕方になると座っているだけで十分だったので、退屈しのぎに何かする必要がなかった。・・・。
しかし、好戦的な性格を治すこの方法は実行不可能である。人類が生き残るべきであるなら --もしかすると人類の生存は望ましくないかも知れないが(注:皮肉半分冗談半分、他の動物にとっては人間は滅亡したほうがよいかも知れない)、興奮を愛する心を生み出す未使用の肉体的エネルギーの無邪気なはけ口を確保するために、他の手段を見つけなければならない。この問題は、道徳主義者にも社会改革者にも、あまりに考慮されてこなかった。
It is not altogether easy to decide what is the root cause of the love of excitement. ...
I used, when I was younger, to take my holidays walking. I would cover twenty-five miles a day, and when the evening came I had no need of anything to keep me from boredom, since the delight of sitting amply sufficed. ...
This cure for bellicosity is, however, impracticable, and if the human race is to survive - a thing which is, perhaps, undesirable - other means must be found for securing an innocent outlet for the unused physical energy that produces love of excitement. This is a matter which has been too little considered, both by moralists and by social reformers. ...
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954, part II: The Conflict of Passions, chapter 2: Politically important desires, n.10
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-2_0210.htm
<寸言>
今では、幸いなことに、有り余る精力を発散させるいろいろな娯楽やスポーツがあります。ただし、豪華な旅行やお金のかかるスポーツ(たとえばヨットによる航海)等は万人のためのものではなく、そういうことを享受できる人達に対する羨望が生まれたり、享受できない多くの人々に不満がたまったりします。
なかには、軍需産業の経営者や従業員の一部には、自分たちの会社が潤うことにつながるので、地球上のどこかで戦争が起こることを期待する人たちもいます。そこから、戦争に対する興奮も生まれてきます。
* 投げ銭(Amazon ギフト:15円以上)
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell