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In the summer of 1966, after extensive study and planning, I wrote to a number of people around the world, inviting them to join an International War Crimes Tribunal. The response heartened me, and soon I had received about eighteen acceptances. I was especially pleased to be joined by Jean-Paul Sartre, for despite our differences on philosophical questions I much admired his courage.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB34-280.HTM
<寸言>
アメリカは世界中に米軍基地をもっており、世界中の紛争に介入してきましたが、ベトナム戦争で転機を迎えました。アメリカはベトナム戦争に深入りし、北爆(北ベトナム爆撃)も大々的に行いましたが、結局、米軍はベトナムから撤退せざるをえなくなりました。
米国がベトナム戦争で失敗した要因の一つに、当時のベトナムのゴ・ディン・ジエム政権は腐敗しており、南ベトナムの国民の支持も受けていなかったことがあげられます。当時、ケネディ政権下で副大統領だったジョンソンは、ベトナム視察の報告書の中で、ジエム大統領の事を「国民から乖離しており、しかもジエム本人以上に好ましくない人物に取り巻かれている」と忠告しています(ウィキペディア)。また、米国の若者の反戦運動の高まりも要因の一つでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%A0
沖縄の米軍基地からは毎日のように北爆のための爆撃機が飛び立ちました。日本の軍需産業は活気づき、日本に富をもたらしましたが、他国の民衆の犠牲の上での繁栄であり、日本におけるベトナム反戦運動も熾烈なものになりました。アメリカのやることを批判をできず、アメリカのやることに追従しておこぼれを得ようとする日本政府の態度は「顕在」(あるいは「健在」?)です。
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#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell