大雑把に言えば,人類(我々)は,手段についての人間の技量と,目的についての人間的愚かさとの競争の真っ只中にいる。目的に関する愚かさが十分あれば,その目的を達成するために必要ないかなる技量の増大も事態を悪化させる。人類はこれまで,無知と無能によって生き残ってきた。しかし愚かさと結びついた知識と能力とが与えられるならば,生き残る確実性はまったくなくなる。知識は力である。しかし,それは善に向かう力と同じくらい悪に向かう力でもある。従って,知識と同様,知恵も増大しない限り,知識の増大は悲しみの増大となるであろう。
Broadly speaking, we are in the middle of a race between human skill as to means and human folly as to ends. Given sufficient folly as to ends, every increase in the skill required to achieve them is to the bad. The human race has survived hitherto owing to ignorance and incompetence; but, given knowledge and competence combined with folly, there can be no certainty of survival. Knowledge is power, but it is power for evil just as much as for good. It follows that, unless men increase in wisdom as much as in knowledge, increase of knowledge will be increase of sorrow.
出典: Bertrand Russell: The Impact of Science on Society, 1952, chap.7: Can a scientific society be stable?
詳細情報.: https://russell-j.com/cool/43T-0701.HTM
<寸言>
目的には表明されている目的以外に隠された目的があることが少なくありません。表明される目的は「立派な」ものが多いですが、隠された目的は一部の人には利益になるが一部の人には大きな災いになるものがけっこうあります。たとえば、軍備拡張の隠されている目的は何か、アベノミクスの隠されていた目的は何か、考えてみる必要があります。多くの場合、多数の人にとっては可もなく不可もなくで、被害を受けるのは一部の人だけということが多いので(たとえば、米軍基地で困るのは沖縄の人達だけ、原発事故で苦しむのも過疎地に住んでいる一部の人だけ)、問題はスルーされてしまいがちです。
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