ルネサンス期イタリアに一人の小公子(小君子)がおり、彼は死の床で聖職者から何か懺悔することはないかと尋ねられた。(すると)彼は,次のように述べた。「一つあります。私は,ある機会に,皇帝と教皇との訪問を同時に受けました。私の邸宅内の塔のてっぺんからの眺めを見せるためにお二人を塔のてっぺんに案内しましたが,二人とも同時に投げ落として不滅の名声を得る機会を見逃してしまいました。」
歴史(書)は,その聖職者がその小公子に赦免を与えたかどうか、物語っていない。
There was a Renaissance Italian princeling who was asked by the priest on his deathbed if he had anything to repent of. "Yes", he said, "there is one thing. On one occasion I had a visit from the Emperor and the Pope simultaneously. I took them to the top of my tower to see the view, and I neglected the opportunity to throw them both down, which would have given me immortal fame". History does not relate whether the priest gave him absolution.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, 1954,pt.2,chap.2: Politically Important Desires (Nobel Prize Acceptant Speech
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-020201.HTM
<寸言>
キリスト教では、死ぬ前に懺悔して神のふところに帰った者は「罪を許され、天国に行ける」ようです。
上記の逸話では、小公子(小君子/幼君)は懺悔することはないかと聞かれて告白しているので、「懺悔している」ようにも見えます。しかし、「不滅の名声をを得る機会を逃してしまった」と残念がっていますので、本当に「懺悔している」ようには見えません。「その聖職者がその小公子に赦免を与えるべきか否か」迷ったはずですが、現代のキリスト教の聖職者ならどう考えるでしょうか(笑)。
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