実際に起こる意見の相違のうち、その多くは事実に関する意見の相違に帰することができ、従って、本質的に倫理的なものではない。・・・。
・・・。戦争で敗れた人は、自分が何らかの倫理的原則を支持していると信じていることが非常に多いが、もし敗戦を予見していたならば、その倫理原則は、妥当かどうかは別として、そのような手段(戦争などの暴力)では支持されないと認識したはずである。
Of the disagreements that occur in practice, much the greater number can be reduced to disagreements as to fact, and are therefore not essentially ethical. ... People who are defeated in war very often believe themselves to be upholding some ethical principle, but if they had foreseen their defeat, they would have perceived that their principle, whether valid or not, would not be upheld by such means.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1011.htm
<寸言>
事実誤認による無謀な行為はかなり時間が経過してから反省されます。しかし、現在の問題においても、将来予想される問題においても、事実調査や事実認識の努力は不十分なままに誤判断が繰り返され、同じような間違いを起こし続けています。「反省だけなら猿でもできる」と言われますが、「考えることが面倒なので大勢に従っておこう(多数意見に従っておこう)と考える人が少なくないようです。マスコミや世間は、毎年、今年の流行はこれだといろいろ提示してくれますので、それらを「消費」するだけでせいいっぱいで、時は過ぎていきます。大国だけが暴力(実力行使)によって自らの意志や主張を他国に押し付けることができます。それは共産主義国だけに限りません。戦前・戦中は日本単独で自国の意志を他国に押しつけようとしましたが失敗しました。現在では、日本も、アメリカに従ってさえいれば、甘い汁の分配にあずかることができます。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell