退屈とは,本質的に, 事件(出来事)への欲求が妨げられた状態をいい, 事件(出来事)は必ずしも愉快なものである必要はない。しかし, そのような出来事だけで, 倦怠の犠牲者が今日と昨日とを区別することを可能にするのである。
Boredom is essentially a thwarted desire for events, not necessarily pleasant ones, but just occurrences such as will enable the victim of ennui to know one day from another.
Source: Bertrand Russell: The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
More info.: https://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM
<寸言>
娯楽(気晴らし)が少ない昔は、官製宣伝やマスコミによって、多くの国民が「開戦」(戦争状態突入)に歓喜しました。現代では、様々な娯楽や気休めによって気晴らしを得ることができますので、戦争で国民全体が熱狂するということは、少なくとも民主主義の先進国では、少なくなりました。ただし、政権維持のために仮想敵国の脅威を過剰に言い立てる手法は現在でも多用されています。
引用文はラッセルの『幸福論』からのものですが、この直後に次のように書かれています。
「戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部(逃避から生まれたもの)であり、隣人とのけんかさえ、何もないよりはましだと思われてきた。それゆえ、人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから、退屈はモラリストにとってきわめて重要な問題である。(Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from boredom; even quarrels with neighbours have been found better than nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.)」
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