バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 死につつあるともう感じることなくベットに横たわっていることは,驚くほど楽しいことであった。その時まで私は,自分は基本的に悲観主義的な人間であり,生きていることにそれほど大きな価値をおいていない,と常に想っていた。しかしそのように考えることは完全な間違いであり,人生は無限に甘美なものだということを,私は発見した。

Lying in my bed feeling that I was not going to die was surprisingly delightful. I had always imagined until then that I was fundamentally pessimistic and did not greatly value being alive. I discovered that in this I had been completely mistaken, and that life was infinitely sweet to me.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-100.HTM

<寸言>
 北京でインフルエンザに罹り、死線をさまよったラッセル。病み上がりのラッセルは、帰国の途上、1921年7月17日から7月30日まで日本に立ち寄り、滞在します。当時の進歩的な雑誌「改造」の発行元の改造社の招待に応じたものですが、日本中を連れまわされ、怒涛の2週間を過ごし、当時の日本の知識人に大きな影響を与えました。
 ラッセルが日本人に次に大きな影響を与えたのは、ラッセルが核兵器撤廃運動を活発にしていた1960年代でした。朝日新聞(論説主幹の笠信太郎氏は日本バートランド・ラッセル協会会長)は、費用を全て朝日が持つことでラッセルに訪日を依頼しますが、老齢であることなどから、残念ながら実現しませんでした。
 その時のことをラッセルは『自伝』で次のように述べています。

 「それ以来(退院後は),私は数回海外旅行をしたが,いづれも(カナダの)パグウォッシュほど遠くへいったことはない。長旅を避けた理由は,幾分かは,もし私がある国へ行けば,私を自国に来させようと懇願してきた他の国々の人々を侮辱することになると恐れるからである。公職についていない人間にとって,それを回避する唯一の方法は,遠出の旅行をやめることである。」(Since that time I have made several journeys abroad, though none so long as that to Pugwash. I fight shy of longer journeys partly because I fear if I go to one country people in other countries who have pressed me to go there will be affronted. The only way around this, for one who is not an official personage, is to renounce distant travels.  注:「fight shy of」:避ける)


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