彼らが見付けてくれた看護婦は,専門職としてかなり抜きん出ていた。彼女は,第一次世界大戦中はセルビアの病院で看護婦長をしていた。その病院全体がドイツ人(軍)に占領され,そうして看護婦達はブルガリアに移された。彼女は,ブルガリアの王妃とどんなに親しい間柄になったかということを,まったく飽きることなく,私に語った。彼女は深い宗教心を持った女性であった。そうして,彼女は,私が快方に向かった時,私(注:無神論者)を死なせることが自分の義務ではないかと真剣に考えた,と私に話してくれた。彼女の(看護婦としての)職業的訓練が,彼女の道徳感よりもずっと強力であったことは,私にとって幸運だった。
The nurse whom they had found was rather distinguished in her profession, and had been the Sister in charge of a hospital in Serbia during the War. The whole hospital had been captured by the Germans, and the nurses removed to Bulgaria. She was never tired of telling me how intimate she had become with the Queen of Bulgaria. She was a deeply religious woman, and told me when I began to get better that she had seriously considered whether it was not her duty to let me die. Fortunately, professional training was too strong for her moral sense.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968
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<寸言>
ラッセルは、中国講演協会の招待で1920年秋から1921年7月上旬まで(帰国後結婚するドーラ・ブラックとともに)中国に滞在し、北京大学を始め、中国各地で講義や講演をしました。中国での日々はラッセルにとってとても心地よいものでした。しかし、真冬にインフルエンザにかかり、北京のドイツ人経営の病院に入院し、危篤状態になってしまいました。けれども運よく、肺炎球菌を殺した血清を提供してくれた北京のロックフェラー研究所のおかげで九死に一生をえました。
なお、回復した後、英国への帰途、日本に2週間滞在しています。
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