バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 (第一次大戦直後) 社債を T.S.エリオット(1888-1965)にあげて手放して以後,私の手許に残った不労所得は年約百ポンドだけになった。それだけは私の婚姻継承財産設定(marriage settlement)のためのものであったので,なくすることができなかった。このことは - 私は著作でお金を稼げるようになっていたので - たいした事だとは思われなかった。

After parting with the debentures that I gave to Eliot, I was left with only about £100 a year of unearned money, which I could not get rid of as it was in my marriage settlement. This did not seem to matter, as I had become capable of earning money by my books.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 2: Russia, 1968
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB22-010.HTM
<寸言>
 T. S. Eliot (1888-1965、米国生まれの英国の詩人・文芸批評家, 1927年に英国の市民権取得) は後に(1948年に)「荒地」でノーベル文学賞を受賞しているので、少なくとも名前は聞いたことがあると思われます。ハーバード大学の学部及び大学院を出た後、1915年に英国に渡り、オックスフォード大学に滞在します。
 エリオットはもともと裕福な家庭に生まれ育ちましたが、1915年にオックスフォード大学で知り合ったヴィヴィアンと結婚して以降、歯車が狂っていったように思われます(注:1933年にはヴィヴィアンと離婚/二人の愛を描いた映画のビデオ「愛しすぎて-詩人の妻」を30年前に入手して視聴しましたが、そのビデオは現在行方不明です)。エリオットの父親はエリオットがヴィヴィアンと結婚することに強く反対し、エリオットが一族の信仰だったユニテリアン派を捨て聖公会に転向したため、父親は激怒し、エリオットへ遺産が渡らないように処置しました。詳しくは、wikipedia を参照してください。) 
 ラッセルがエリオットに社債をあげたのは、エリオットが上記の理由で経済的に苦境にあったからです。(なお、エリオットは、ハーバードの大学院でラッセルの論理学の講義も受講しています。)

(注:marriage settlement:不動産譲渡の性質をもった婚姻継承財産設定。婚姻することを条件として婚姻の前に婚姻当事者の双方または一方,あるいは両親や親族が設定するもの(『研究社新英和大事典』より/参考:イギリス不動産法の単純化と土地移転の簡易化)  https://core.ac.uk/download/pdf/144438404.pdf


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