後に私は、この本(幾何学の基礎に関する学位論文)はあまりにカント寄りであると考えるようになった、しかし、私の最初の哲学に関する著作が当時の正統派に対し異議を唱えなかったということは、私の評判のためには幸いなことであった。カントを批判する者は全てカントを理解し損ねたものとして片付けてしまうのが、当時の学界(英国哲学会/学者仲間)の慣例であった。また、そうした批判に反論するにあたって、私が以前カント(Immanuel Kant, 1724-1804)に賛成していたことがあるという事実は何かと好都合であった(注:皮肉)。
I subsequently came to think this book much too Kantian, but it was fortunate for my reputation that my first philosophical work did not challenge the orthodoxy of the time. It was the custom in academic circles to dismiss all critics of Kant as persons who had failed to understand him, and in rebutting this criticism it was an advantage to have once agreed with him.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967
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<寸言>
ラッセルの最初の本は 1896年(24歳になる数カ月前)に出版した German Social Democracy ですが、最初に執筆した本はこの学位論文(An Essay on the Foundations of Geometry)でした。幾何学の基礎がどうして哲学に関係があるかといぶかる方もいるかも知れませんが、数学であれ、宇宙論であれ、基礎や原理に関するものは全て哲学に関係があります。当時は、今以上にそうでした。
ラッセルがケンブリッジ大学に入学した頃は、英国においてもヘーゲルやカントの全盛期で、ドイツ観念論哲学を教え込まれました。ラッセルも当初その影響を受けましたが、独自の手法(論理的分析の手法)を開発し、独創的な思想を展開しました。カントと自分(ラッセル)との違いを次のように述べています。
「私は,カント以来,哲学において一般的であるプロセス(手続き)を逆にする。(即ち)これまで,哲学者達の間では,如何にして我々(人間)は(ものごとを)知るかから始め、その何を知るかに進む、というのが一般的であった(注:how から what へ)。私はこれは誤まりであると考える。なぜなら、如何に知るかを知ることは、何を知るかを知ることのひとつの小さな部分(注:部分集合)にすぎないからである。
I reverse the process which has been common in philosophy since Kant. It has been common among philosophers to begin with how we know and proceed afterwards to what we know. I think this a mistake, because knowing how we know is one small department of knowing what we know.
Source: My Philosophical Development, 1959
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-010.HTM
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