バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 この時期に私の知的野心が形成されつつあった。私は,職業に就かず,執筆に専念しようと決意した。私は,初春のある寒い晴天の日に,一人でティーアガルテン(注:ベルリンにある210ヘクタールの大公園)の中を散歩している時に,将来の仕事の計画(プロジェクト)を立てたことを記憶している。私は,純粋数学から生理学にいたる諸科学の原理に関する一連の著作と,社会問題の諸問題に関する別系統の一連の著作を執筆しようと考えた。私は,これら2種類の著作群は最終的には科学的であると同時に実際的なものに統合化可能だろうと思った。

During this time my intellectual ambitions were taking shape. I resolved not to adopt a profession, but to devote myself to writing. I remember a cold, bright day in early spring when I walked by myself in the Tiergarten, and made projects of future work. I thought that I would write one series of books on the philosophy of the sciences from pure mathematics to physiology, and another series of books on social questions. I hoped that the two series might ultimately meet in a synthesis at once scientific and practical. My scheme was largely inspired by Hegelian ideas. Nevertheless, I have to some extent followed it in later years, as much at any rate as could have been expected. The moment was an important and formative one as regards my purposes.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB15-030.HTM
<寸言>
 ラッセルは多方面において大きな業績をあげ、世界中の人々に大きな影響を与えましたが、それは若い時のこの決意があったからこそです。思うだけなら誰でも誇大妄想的に思うことができますが、その思いを実現するには、能力、財力、運、時代背景、生まれ育った国や地域の状況、その他、いろいろな要素が関係してきます。
 能力については、ラッセルは抜きんでたものがありました。
 財力については、ラッセルは,亡き父から2万ポンド(約4,5億円?)の遺産を相続していました。
 ラッセルの祖父のジョン・ラッセルは英国の首相を2度務めており、その家柄もプラスになったはずです。
 ラッセルの青年時代は英国の最盛期でしたが、その後は没落していきました。(英国人である利便性は、米国人に比べればずっとおとります。)
 英語圏の中心である英国で生まれ育ったことは、有利に働きました。

 ラッセルの生涯は「大河ドラマ」化にふさわしいと思われますが、複雑すぎて、一般向けのドラマにしたてることはできそうにありません。

#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell