バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 私達は,結婚生活の初めの何年かを,多くの外国の国々を見てまわろうと心に決めていた。そこで,1895年の最初の3ヶ月間をベルリンで過ごした。私はベルリン大学に行き、そこで主に経済学を研究した(訳注:ベルリン大学での研究成果は,翌年,ラッセルの最初の著作 German Social Democracy として出版=ラッセルは当時24歳!)。(また)大学特別研究員の資格をとるための学位論文(幾何学の基礎に関するもの)の執筆作業も続けた。私達は,週3回音楽会に行き,そうして,ドイツ社会民主党員達と知り合うようになったが,彼らは当時とても邪悪な人間であると考えられていた。
We had decided that during the early years of our married life, we would see a good deal of foreign countries, and accordingly we spent the first three months of 1895 in Berlin. I went to the university, where I chiefly studied economics. I continued to work at my Fellowship dissertation (on the foundations of geometry). We went to concerts three times a week, and we began to know the Social Democrats, who were at that time considered very, wicked.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 5: First marriage, 1967
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB15-020.HTM
<寸言>
 ラッセルは1894年12月13日(ラッセル22歳の時)に5歳年上のアメリカ人女性アリスと結婚しています。(ラッセルの両親はラッセルが幼い時に亡くなっていますが、21歳になって成人すると、親の遺産を使えるようになっていました。)
 ラッセルは亡き父の遺産を活かし,「原則として」どこにも勤めずに、執筆一本で生きていこうと若い時に決意しました。不労所得はよくないが、お金のために(生計のために)真理に背を向けることなく、あくまでも人類に貢献する学問をするために「遺産を活用する」ことはそれほど悪いことではないだろう、と自らを納得させていました。1921年には遺産をほぼ使い果たしていますが、執筆や講演活動などで生活できると考えていましたので、あまり心配していませんでした。
 なお、育ての親の祖母の遺産は相続せず、ケンブリッジ大学や種々の教育目的のために全て寄付しています。

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