バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 1906年に,私はタイプ理論(型理論)を発見した。後は書き上げることだけであった。ホワイトヘッドは学生の教育のため,この機械的な仕事をする十分な時間がなかった。(そこで)私は,1907年から1910年まで,毎年約8ヶ月間,毎日10時間から12時間,執筆作業を行った。原稿は,しだいに膨大になり,散歩で外出するたびに,自宅が火事になって原稿が焼失してしまわないかと,いつも心配になった。その原稿は,当然のこと,タイプライターで打ったり,複写さえしたりできない類のものであった。

In 1906 I discovered the Theory of Types. After this it only remained to write the book out. Whitehead's teaching work left him not enough leisure for this mechanical job. I worked at it from ten to twelve hours a day for about eight months in the year, from 1907 to 1910. The manuscript became more and more vast, and every time that I went out for a walk I used to be afraid that the house would catch fire and the manuscript get burnt up. It was not, of course, the sort of manuscript that could be typed, or even copied.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB16-140.HTM

<寸言>
 『プリンキピア・マテマティカ』は特殊な論理記号がいっぱいでてきますので、(タイプライターで)タイプできず、手書きせざるを得ませんでした。従って、苦労して書き上げた原稿が火事で焼けてしまうかも知れないという恐怖感はかなりのものであったと思われます。
 ところで、「even copied」というのが気になりました。「コピー機で複写さえできない類のものだった」という意味でしょうか? それとも、論理記号のオンパレードなので、第三者に「(手書きで)複製してもらえない類のものだった」と言っているのでしょうか?
 私が若い頃の複写機は薬品を使う「湿式」の機械でした(ジアゾ式複写機?)。ラッセルが『プリンキピア・マテマティカ』を執筆した1907~1910年の頃存在した複写機は性能がかなり低かったと想像されます。 google で検索して少し調べてみると次のような記述がありました。

 「コピー機は、1779年に蒸気機関を発明したことで有名なイギリスの発明家、ジェームズ・ワットが発明しました。インクが裏まで染み込みやすい薄い紙を使って、紙から別の紙に内容を転写する手法を考案し、20世紀まで使用され続けました。」

 「20世紀まで使用され続けました。」とありますので、1900年代の複写機も「インクが裏まで染み込みやすい薄い紙を使って、紙から別の紙に内容を転写する」方式のものだったと想像されます。従って、『プリンキピア・マテマティカ』の原稿は「複写さえしたりできない類のもの」だったということになると思われます。

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