
<BBC連続講義「権威と個人」より>
「国家」は抽象的なものです。国家は喜びも痛みも感じません。国家は希望も恐怖も持っていません。我々が国家の目的と考えているものは,実際は,国家を指揮する個人(個々人)の目的です。抽象的にではなく,具体的にもの(国家)を考えるとき,「国家」の代わりに,大部分の人間(国民)以上に権力をもっている,ある一定の人々を我々は発見します。そうして,「国家」礼讃は,実際は,少数支配者(支配階級)の礼讃であるということが明らかになります。
"The State" is an abstraction; it does not feel pleasure or pain, it has no hopes or fears, and what we think of as its purposes are really the purposes of individuals who direct it. When we think concretely, not abstractly, we find, in place of "the State," certain people who have more power than falls to the share of most men. And so glorification of "the State" turns out to be, in fact, glorification of a governing minority.
Source: Bertrand Russell: Authority and the Individual, 1949, chap. 6: Individual and Social Ethics.
More info.:https://russell-j.com/cool/40T-0601.HTM
<寸言>
「国民」という言葉を使えばよい場合でも、政治家はしばしば「国家」という言葉に言い換えます(例:「国民の繁栄、国民の幸福」→「「国家の繁栄、国家の栄光」「輝かしい日本の歴史)。人は「言葉に繰られ」、いつの間にか、気づいたら危険な道に迷い込んでしまいます。軍事バランスが大事といいながら、実際は、お互い、「仮想敵国」よりも優位な軍事力をもとうとしますので、どんどん軍事費が増大してしまっていきます。
弱小国が大国に戦争をしかけることはほとんどありません。大国が小国を攻撃するか、あるいは、大国が小国を支援して、敵対国の友好国である小国に戦争をしかけます。
3枚の添付画像は、権力者の姿をよく表しているように思われますが、いかがでしょうか? 憲法に「緊急事態条項」を入れたがる権力者の意図あるいは、潜在意識を想像してみましょう。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell