バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 欲望が両立可能な場合は、両立不可能な場合よりも、欲望を満足させる総量が大きくなることは明らかである。従って、我々の善の定義によれば、両立可能な欲望は手段として好ましい。その結果、愛は憎しみよりも、協力は競争よりも、平和は戦争よりも・・・ということになる。(もちろん例外はある。私はほとんどの場合において真実であると思われることを述べているだけである。) このことは、欲望を正邪、大雑把に言えば、善悪として区別する倫理につながる。正しい欲望とは、できるだけ多くの他の欲望と両立できるものであり、間違った欲望とは、他の欲望を妨げることによってのみ満たされるものである。しかし、これは大きなテーマなので、その展開は後の章に譲ることにする。

It is obvious that there can be a greater total of satisfaction of desire where desires are compossible than where they are incompatible. Therefore, according to our definition of the good, compossible desires are preferable as means. It follows that love is preferable to hate, co-operation to competition, peace to war, and so on. (Of course there are exceptions; I am only stating what is likely to be true in most cases. ) This leads to an ethic by which desires may be distinguished as right or wrong, or, speaking loosely, as good and bad. Right desires will be those that are capable of being compossible with as many other desires as possible; wrong desires will be those that can only be satisfied by thwarting other desires. But this is a large theme, and I will leave its development for a later chapter.
 Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 4
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0417.htm

<寸言>
 ラッセルは、この文章の前のほうで、「正しい(right)」や「間違っている(wrong)」に基礎を置く倫理(学)よりも、「善い(good)」や「悪い(bad)」に基礎を置く倫理(学)のほうがよりよいと主張しており、この段落では、正邪について矛盾したことを言っているかのようにも見えます。
 しかし、この段落では、考え方や行為が「正しい」か「間違っている」について言っているのではなく、個々人の個々の「欲望」が「正しい」あるいは「良い」か、及び、「間違っている」あるいは「悪い」かと言っています。
 参考まで、ChatGPT に意見を聞いたところ次のように応えました。

「・・・。欲望が他の欲望と共存可能であるかどうかを基準にして欲望を評価し、それによって欲望を「正しい」または「間違っている」と見なすことを意味しています。ここでの「正しい」や「間違っている」は、欲望の性質に基づくものであり、他の欲望との調和や共存可能性によって判断されます。この文脈では、善悪や正邪の観点とも結びついており、欲望を「善い」または「悪い」とも捉えることができます。」

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