バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 もし人類が「正しい(正義)」とは何かについて合意していたなら、「正しい(正義)」を倫理学の基本概念とし、「善い(善)」を正しい行為によって達成されるものとして定義することができたであろう。しかし、これまで見てきたように、何が正しく何が間違っているかについては、異なる共同体の間で非常に広範な意見の相違(乖離)がある。一般的に、特にタブー道徳に関する場合、この意見の相違(乖離)は行為の効果に関する信念の違いに起因しており、行為のどのような結果が望ましいと考えられるかについては、多様性がはるかに少ない。この事実があるからこそ、むしろ「善い(善)」の観点から「正しい(正義)」を定義するほうが、その逆(「正しい(正義)」の観点から「善い(善)」を定義するよりも良いのである。

If mankind were agreed as to what is "right", we could take "right" as the fundamental concept in ethics, and define "the good" as what is achieved by right conduct. But as we have seen, there is a very wide divergence between different communities as to what they consider right or wrong. In general, particularly in the case of tabu morality, this divergence is traceable to a difference in beliefs as to the effects of actions, and there is much less diversity as to what results of actions are thought desirable. It is this fact that makes it better to define “right" in terms of “good" rather than vice versa.
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0413.htm

<寸言>
 何が「正しい(正義)」かについては、国、民族、個人によって意見は様々なため合意は難しくても、起きた結果(そのもの)については、意見の相違ははるかに少ないだろうとの指摘です。そうであるならば、何か重要なことを行う際には、過去の事例をよく参照して冷静にことを運ぶべきだということになるはずです。
 しかし、他人(他国、他民族等)にはその教訓を推奨しても、当事者となった自分(自国)には適用しない(自分/自民族の"気持"がまず大事)というのが世の常です。
 自分(達)は「正しい(正義)」と思って行動した結果、不幸な事態(例:イスラエルの空爆等によるガザ在住の子供の死者がこれまでに約4,000人)が生じれば、普通は、軌道修正を図ります。しかし、大国あるいは(小国でも)軍事大国(イスラエルや北朝鮮など)は自分たちの「正義」の観念を押し付けることが可能なために、多くの弱小国や弱小民族をたたきがちです。
 ラッセルは、「善い」か「悪い」の判断材料や根拠として、結果を重視する立場です。

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