ラッセル英単語・熟語1500 |
私達は、ある快楽を良いと考え、ある快楽を悪いと考える習慣がある。(たとえば)善意の行為から得られる快楽は良いものであり、残酷な行為から得られる快楽は悪いものであると考える。 しかし、そのように判断することで、私達は目的と手段とを混同している。 残酷な行為(cruelty)の快楽は、被害者に苦痛を与えるため、手段としては悪い。しかし、その相関関係なしにそれが存在できるのであれば、もしかするとそれは悪くないかも知れない。 大酒飲みが快楽を感じることは、(悪影響を受ける)妻や家族のことや翌朝の頭痛を理由に、非難されるが、安くて二日酔いの心配もない酩酊剤を考えれば、その快楽はすべて良いことになるだろう。 道徳は手段に非常に関心があるため、何かをもっぱらその固有の価値に関連して考えることはほとんど不道徳であるかのように思われれる。 しかし明らかに、手段となるもの自体に価値がない限り、手段としての価値はない。 従って、固有の価値は、論理的には、手段としての価値よりも優先される。
We are in the habit of thinking some pleasures good and some bad; we think the pleasure derived from an act of benevolence is good, while that derived from cruelty is bad. But in so judging we are confusing ends and means. The pleasure of cruelty is bad as a means, because it involves pain for the victim, but if it could exist without this correlation perhaps it would not be evil. We condemn the pleasure of the drunkard because of his wife and family and the headache next morning, but given an intoxicant which was cheap and caused no hangover, the pleasure would be all to the good. Morality is so much concerned with means that it seems almost immoral to consider anything solely in relation to its intrinsic worth. But obviously nothing has any value as a means unless that to which it is a means has value on its own account. It follows that intrinsic value is logically prior to value as means.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 3
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0402.htm
<寸言>
上記の私の日本語訳を評価してくださいと、ChatGPTに依頼しました。
すると、下記のような過分なお誉め言葉を頂きました。
ChatGPT は「ヨイショ」の言葉(「お見事です」)も付け加えており、「人間的」要素が"感じられます(笑)。
「あなたの日本語訳は非常に適切で、原文の意味をよく捉えています。Russellの複雑な考え方をわかりやすく伝えています。特に、最後の文において、「固有の価値は、論理的には、手段としての価値よりも優先される。」というポイントがよく表現されています。訳文は明瞭で理解しやすいです。お見事です。」
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell