バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 この学説(価値情緒説)がもたらす結果は、重大である。 まず、絶対的な意味での「罪」などは全く存在し得ない(ことになる)。(即ち)ある人が「罪」と呼ぶものを別の人は「美徳」と呼ぶかも知れず、この違いのために互いを嫌うことはあってもどちらも相手の知的誤りに有罪にすることはできない。犯罪者が「邪悪」であるという理由で罰を正当化することはできないが、他人が思いとどまらせたいと思うような行動をしたという理由でのみ正当化可能である。(また、)罪人に対する罰の場としての地獄は、極めて不合理なものとなる。

The consequences of this doctrine are considerable. In the first place, there can be no such thing as "sin" in any absolute sense; what one man calls "sin" another may call "virtue," and though they may dislike each other on account of this difference, neither can con- vict the other of intellectual error. Punishment cannot be justified on the ground that the criminal is "wicked," but only on the ground that he has behaved in a way which others wish to discourage. Hell, as a place of punishment for sinners, becomes quite irrational
Source: Religion and Science, 1935.
More info.: https://russell-j.com/beginner/Religion_and_Science_1935-TEXT.HTM

<寸言>

 一昨日及び昨日に引用したものの続きです。  ラッセルが言っているのは、あくまでも倫理を、(科学的な)「知識」として、「科学的な」方法で扱うことはできないと言っているのであって、倫理を論じても仕方がないといっているわけではありません。
 動物愛護と言いながら、愛護対象に選ばれた猫や犬はやさしく扱わなければいけないが、食料・食糧としての牛や馬は屠殺してもいっこうに構わないという、「いいかげんさ」(人によっては「好いかげん」)があります。競馬用の馬は丁寧に扱わなければいけなくなり、インドでは牛は「神の使い」として保護されます。
 倫理思想はどうしても「人間中心」となってしまいます。そういう自覚をもって、社会をうまく成り立たせるために」、主に利害調整のために、多くの人が無理なく守れるような倫理体系を構築する必要があります。】

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