バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Ru
ssell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

[ノファー夫人】... 私達夫婦は教会には全くいかず、自分達は不可知論者だと考えています。けれども、私達はある種の宗教教育は自分達の子供のために望ましいと感じています。・・・.

[ラッセル] ・・・ ある種の宗教教育が不可欠であることには同意しません。私は、あらゆる宗教は、少なくとも部分的には、全く証拠のないものを信じることにあり、そのような信念に直面した際には、証拠への忠誠心を代用すべきだと考えます。ある信念を家庭で、別の信念を学校で植え付けることは子供にとって良くないと思うかもしれませんが、他の原因で起こる害の方が大きいと私は考えます。 

[Mrs Nofer] ... My husband and I do not attend any church and consider ourselves agnostics. We do, however, feel that a religious education of some kind is desirable for our children, ...

[Bertrand Russell} ... I do not agree that some kind of religious education is essential. I think that all religions consist at least in part of believing things for which there is no evidence and I think that in face of such beliefs loyalty to evidence should be substituted. You may consider that it is bad for a child to have one set of beliefs instilled at home and another at school, but I think the harm done by any other cause is greater.
 Source: Dear Bertrand Russell, 1969.

<寸言>
 「何らかの宗教教育は必要だ」と言う人はけっこういます。しかし、思い描いている宗教教育の内容は人によって随分異なっているように思われます。キリスト教国やイスラム教国では、キリスト教やイスラム教の教義を教えればよいと考えるでしょうが、日本ではどうでしょうか? 仏教やキリスト教など、いくつかの宗教の教義のエッセンスを教えることによって宗教的な感情や情緒を醸成すればよいのでしょうか? 特定の宗教ではなく、アインシュタインが抱いたような「宇宙的な宗教感情」を教えることができればよいでしょうが、そんなものを教えることができる教師はいるでしょうか? まさか神道を教えるべきだと主張する人はほとんどいないと思われますが・・・?
 日本バートランド・ラッセル協会二代目会長の谷川徹三(故人、哲学者で法政大学総長)は、ラッセルを unreligious believer と形容しました。ラッセルはキリスト教の厳しい批判者として著名でしたが、いかなるキリスト教徒よりも信仰者のごとく世界のために生涯(特に晩年は)つくしました。ラッセルの死に際し、バチカンの某新聞は同様の趣旨のことを書いて、ラッセルを称えました。
 伝統のある世界宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)が生まれた時代においては、「世界」はちっぽけなもの(太陽系に毛が生えた程度)でした。しかし、今では科学(物理学・天文学・宇宙論)の発達のおかげで宇宙の広大さを多くの人々が理解しています。地球あるいは人間などというちっぽけなものを創造するために、この広大な宇宙を神が創造したというのでしょうか?
 いずれにせよ、証拠がないものを信じるように強制したり誘導したりするのはよろしくない、ということです。

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