ラッセル英単語・熟語1500 |
倫理的・道義的な正しさ(righteousness)という考えを心理学的に分析すれば、それは望ましくない情熱に根ざしたものであり、理性の認可(注:検閲制度のもとでの許可)によって強化されるべきではないことを示していると、私には思われる。・・・。ところで、「不正」(unrighteousness)とは、実際には、何だろうか? それは、実際には、群集の嫌う行為である。不正と呼ぶことによって、また、この概念の周りに念入りな倫理体系を配置することによって、群衆は自分が嫌悪する対象に罰を加えることを正当化する。と同時に、群衆(注:大衆意見)は定義上道義的に正しい(righteous)ということで、自らの残虐への衝動を解き放つまさにその瞬間に自らの自尊心を高める(のである)。これがリンチの心理であり、犯罪者を罰する他の方法の心理である。従って、倫理的・道義的な正しさの概念の本質は、残酷さを正義(justice)と偽って、サディズムのはけ口を提供することである。
The psychological analysis of the idea of righteousness seems to me to show that it is rooted in undesirable passions and ought not to be strengthened by the imprimatur of reason. ... Now, what is "unrighteousness" in practise? It is in practise behaviour of a kind disliked by the herd. By calling it unrighteousness, and by arranging an elaborate system of ethics around this conception, the herd justifies itself in wreaking punishment upon the objects of its own dislike, while at the same time, since the herd is righteous by definition, it enhances its own self-esteem at the very moment when it lets loose its impulse to cruelty. This is the psychology of lynching, and of the other ways in which criminals are punished. The essence of the conception of righteousness, therefore, is to afford an outlet for sadism by cloaking cruelty as justice.
Source: Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930.
More info.: https://russell-j.com/beginner/JUSTICE.HTM
<寸言>
これは、ラッセルのエッセイ Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? (1930)からの引用です。
『ラッセル思想辞典』(早稲田大学出版部)に収録されている牧野力訳も、『宗教は必要か?』(荒地出版社)の中に収録されている大竹勝訳も、righeousness も justice も、ともに「正義」という訳語をあてているために、ラッセルの言おうとしていニュアンスが少し伝わらないような気がします。
righteousness は「倫理的、道義的な正しさ」を意味し、 justice は「法による公平さの見地からの正しさ」を意味しています。
https://almamatersjk.com/knowledge016justice-vs-righteousness/
ラッセルが言葉を使い分けている場合は、可能であれば(日本語に対応する言葉がある場合には)、できるだけ訳仕分けしたいものです。あまりこだわるとかえってわかりにくくなる場合もありますが・・・。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell