バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Ru
ssell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 1846年から1847年にかけてのアイルランドの飢饉は,非常に深刻なものであり,人口はその後,以前到達していた水準にまでついに戻ることはなかった。ロシアでも,飢饉はたびたび起こった。そして,1921年の飢饉は,いまだに全ての人々の記憶に新しい。私が1920年に中国にいた時,中国のかなり広い地域が,翌年(1921年)のロシアの飢饉に負けないくらい深刻な飢饉に苦しんでいたが,(中国の飢饉の)犠牲者は,ヴォルガ川流域の犠牲者ほどの同情を集めなかった。彼らの不幸は,共産主義のせいにすることができなかったからである(注:西洋諸国は,ロシアの飢饉を共産主義革命が1917年にロシアに起こったためだとした)。


The famine in Ireland in I846-7 was so severe that the population has never since attained anything like the level that it had reached before. Famines in Russia have been frequent, and that of 1921 is still fresh in the memory of everyone. When I was in China in I920, considerable portions of that country were suffering a famine quite as severe as the Russian famine of the following year, but the victims secured less sympathy than those of the Volga, because their misfortunes could not be attributed to Communism.
Source: Marriage and Morals, 1929
 More info.: https://russell-j.com/beginner/MM17-040.HTM

<寸言>
 西洋においては、1921-122年のロシアの大飢饉は1917年の共産主義革命のせいだとして(ロシアの農民に対し)同情がよせられましたが、1920年の中国における大飢饉は(中国で共産主義革命が起きたのは1949年のことなので)西洋の人々からそれほど同情されなかったというか、それほど関心がもたれなかったとのことです。
 昔の、農業中心の社会にあっては、世界中で飢饉が頻発し、多くの餓死者を出してきました。食い扶持を減らすための人口調節装置として、世界中で嬰児殺しが頻繁に行われました。
 現在でも毎年餓死者がたくさんでていますが、国連食糧機構(WFP)の活躍もあり、世界中で助け合う仕組みができていますので、昔に比べればだいぶマシと言えます。

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